1924(大正13)・12・13 スエズ―カイロ

~孝吉の日記~

朝よりGulf Suezに入る。両岸に山あり。広漠たるアラビヤ砂漠とサワラ[*サハラ]砂漠なり。
西方、アフリカの沿岸の雄大なるoutlineを持った断崖の連続は素晴らしい風景を作る。
その色は代赭たいしゃ*くすんだ黄赤色]よりもローズマダー[*紫みを帯びた濃い赤]に近いものである。
埃及エジプト 午後一時半、船はSuezに投錨。
船中にて型ばかりの検疫と旅券検査を終へて、一行日本人のみ廿五人程上陸。案内はPort Saidに居られる南部なんぶ氏、万事手はずよく導かる。波止場にはスエズ案内の土人が日章旗を以て出迎へる。港から汽車ですぐ近くのSuezの町に下車。日の丸の旗に導かれて、お登り旅行を始る。町は美くしからず。土人はシンガポールのそれよりも欧州人種の混合によってか自覚せる如く、そのどう猛な精神によって強い何ものかを心の奥に認める事が出来る。時にはそれが強い反抗力となって団結する。現に独立問題によって尚、英国と反目の状態にある事を南部氏より聞く。所々に武装した兵士が居るブッソーな状態とある事を知る。暮れ頃、汽車に(五時)乗ってCairoに向ふ。砂漠の夕月、窓外に美くし。
ISMAILIAにて乗替。Chineseといふ声の頻りに聞く。Orange、Mandarinと果物を売る者あり。
乗車後、Wagon Restaurant[*国際寝台車会社の食堂車]にて夕食。サイダーの替りにジンジヤエールが出て来る始末。フランス語に少々面食らふ。Cairo着は十時。待ち受けた五台の自働車に分乗してContinental Savoi Hotelに着く。vestibule[*エントランスホール]にはpetit concertが開かれて、西洋男女ら装をこらして群集している。吾々のあまり振はざる旅風俗でどやどやと入り込んだのは珍。リヨンへ行く正金の堀氏と同室にて294室に宿す。
大きなhotelである。それより夜の街を歩く。Arabの一人に案内されて七、八人連にて奇抜な踊を見る。
十二時、ホテルに帰る。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次