1924(大正13)・11・15 上海出港

~孝吉の日記~

正午、上海出帆。快晴。揚子江河口の大なるに驚く。黄色い泥海を行く。

この日の箱根丸朝食メニュー

■ 欧州航路のメニュー

100年前の欧州航路の客船ではどんな食事が出されたのだろうか。

旅のさまざまな資料を取っておいた孝吉だが、船内のメニューはこの日、1924年11月15日のものしか残っていない。しかも朝食、昼食だけで、残念ながら夕食分はない。

欧州航路の乗客は多国籍。孝吉が残したメニューは英語で書かれている。食の単語を覚えようとしたのか、たくさん書き込みをしている。平目を鯛と間違うなど誤訳がたくさんあり、テーブルで誰かに尋ねながら鉛筆を握ったらしい。

いわゆる「ハイカラさん」の父のもと、朝食にパンを食べて育った孝吉もマーマレードを知らなかったのだろう。「ミカンノカワノジヤム」と書き添えている。「チャウダー」に添えた訳は「シル」。日本の食生活を大きく変え、食にまつわる外来語が入り込んだ100年の歳月を感じさせる。

この日の箱根丸昼食メニュー

メニューを読むことすら難しかったのは、孝吉だけではなかった。日本郵船が創業100周年を記念して出版した写真集[*1]によると、メニューは英語とフランス語で書いた。同船した鉱山技師、大村一蔵[*2]は、親しくなった森田久[*3]がフランス語のメニューに「吾人ごじんの知つて居る洋食は、ライスカレー、シチウ、ビフテキ、トンカツ位なものだなー、それ以外の物は一向分らぬ」と嘆いたとし、「トンカツを横文字の中に入れて済まして御座る」と面白おかしく書いている[*4]

メニューの料理にはよく分からないものもあるが、孝吉に倣って首をひねりながら訳してみた。

【朝食】

果物
紫のオートミール/膨化米/焼ボラ/塩鮭/雄鶏の煮込み/ミンチ料理/ごはん/茹でポテト・ポテトチップス
仔羊のステーキ/鶏肝の串焼き/炙りハム・ベーコン/ハム入りオムレツ/卵のバター焼き
ラスク/オートミールケーキ シロップ添え/ロールパン/トーストパン/ジャム/マーマレード
紅茶/コーヒー/ココア
コーンビーフ(冷製)/羊肉のロースト(冷製)

【昼食】

コンソメスープ/牡蠣チャウダー/平目のフィレのマスタードソース添え/蒸し鴨とグリーンピース/牛肉と腎臓のプディング/チキンカレーライス/キャベツ炒め/茹でポテトと皮つきの蒸しポテト
仔牛チョップ(あばら骨付きで焼いた肉)/牛肉のサーロイン(冷製)/ボロニアソーセージ(直径が大きい)/オーストラリアのハム/雄鶏のガランティン(詰め物を入れて調理後に輪切りにし、ゼリーなどをかけて仕上げる料理)/刻んだ豚の頭のゼラチン固め/サラダ
プリン/レモンメレンゲパイ/シュー/パン類/チーズ/ビスケット
果物
紅茶/コーヒー

今であっても贅沢な料理が揃うが、もちろん全てが出てくるわけではない。食べたいものを選んで取るほか、調理を頼んでクロスの掛かったテーブルまで運んでもらう形式だったようだ。

「フランス料理のパイオニア」。日本郵船は先の写真集でそう誇る。1・2等船客の食事は全てフランス料理とアメリカ料理のミックス。フランスからシェフを招いたり、料理人を外国に出張させたりして腕を磨いたという。「夕食では日本人船客といえども、特別の注文がない限り和食は出さなかった」[*5]

フランス・マルセイユ着は34日後。だが、船に乗れば、食の上ではもう欧米世界だった。

【註】
*1 『七つの海で一世紀』日本郵船、1985年
*2 大村一蔵(1884~1944)。当時は日本石油鉱山部副部長。
*3 森田久(1890~1971)。当時は東京朝日新聞社経済部次長を辞めたところだった。
*4 「欧羅巴旅行通信」(四)『石油時報』(554)1925年3月号、帝国石油
*5 前掲『七つの海で一世紀』

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