~孝吉の日記~
日。快晴。雨、後又晴。
Pisa行
快よい晴天で、六時から起きて川島さん夫妻とPisaへ行く。弁当を宿でこしらへ、七時十分、Firenze発。途中、丘上の町が面白い。九時、Pisa着。馬車でDuomo[*ドゥオーモ]へ走らす。静かな古風なよい街である。青空の中に黄白い琥珀色のDuomo、Campanile[*斜塔(鐘楼)]、Battistero[*洗礼堂]を見た時は気持がよかった。古風で殊にやはり外部がよい建築である。Duomoへ入る。(1063-1118、Tuscan-Romanesque style[*トスカーナ・ロマネスク様式]、restored[*修復] 1597-1604)
68ancient columnsが突立とつりつして勇壮。あまりよい画がない。Sodoma[*ソドマ]やdel Sarto[*Andrea del Sarto(アンドレア・デル・サルト)]があるのだが、あまり見る気もしない画だ。次にBattisteroへ入る。内部は何の装飾もないのでさっぱりとしてよく出来てゐる。columns[*円柱]がよい。
Niccolo Pisano[*ニッコロ・ピサーノ]のpulpit[*説教壇]などは現代の美術史上には重要ではない。その北にあるCampo Santo[*カンポ・サント]へ入る。壁一面に壁画がある。十四世紀のPisan master[*1]の地獄、極楽[*《最後の審判》]もよいが、Benozzo Gozzoli[*ベノッツォ・ゴッツオリ](1469-85[*2])のfrescoesが美くしい。その時代の出来事、土木、葡萄の収穫など南国的で温かで静かだ。backの風景が又、中々よい。重なった丘の上に街やéglise[*教会]が、突立たサイプラス[*サイプレス(糸杉)]の間から見える。路はうねうねとして登てゐる。あれが美くしい伊太利の風景である。[*3]
Campo Santoを出る頃、急に空が曇て雨が降り出す。し方がないので、近くのcaffè迠行て弁当を食ふ。まだ雨が止まず、益々どしゃ降りとなる。とう惑。やっと晴れかけたのでBattisteroを水彩でかき出すと又雨で逃げ込む。斜塔へも登てみた。雨が晴れたのでやっとBattisteroと斜塔を描く。川島さんも二枚油をやる。これで思ひもかなったので引き上げる。美くしいDuomo、Campanile、Battisteroが別れを惜しむやうだ。何となしに人の心を引くよい建築である。Firenzeへ帰たのは夜八時半。この日、奥さんはBattisteroの階段で手紙など書いてお待ちだ。
【註】
*1 ピサの大家。今ではフィレンツェの画家、ブオナミーコ・ブファルマッコの作とみられている。
*2 ゴッツォリがカンポ・サントに旧約聖書を題材として描いた連作壁画の制作年。今は完了年は1484年とされている。
*3 第2次世界大戦中の1944年、空襲に伴う火災で、孝吉のみならず大勢の日本人画家を魅了したカンポ・サントのフレスコ画は大きく損傷。終戦後すぐから2018年まで70年以上の歳月をかけて修復された。
-1024x660.jpg)
ピサ。左手前から右奥へ洗礼堂、ドゥオーモ、「斜塔」として知られる鐘楼。洗礼堂の左奥にカンポ・サントが見える。(孝吉が現地で買った絵はがきより)

ピサの斜塔(1925年3月29日)=撮影・大橋孝吉。傾きは最大5.5度だったが、1990年から倒壊を防ぐための大工事が行われ、現在は3.97度となっている。