1925・3・3 イタリア・ペルージャ-オルヴィエート

~孝吉の日記~

火。雨。又、運が悪く雨だ。馬車でUniversita Museo Etrusco e Romano[*大学にあるエトルリアと古代ローマの博物館]へ走らす。Etruscan のsarcofago[*石棺]やtomb[*墓]の石のよこたはる肖像彫刻や浮彫りは皆大まかで力があって味もあり、唯墓として無数に造られたものが現代の大芸術家といはれる人の彫刻よりは、はるかにnaturalな感情の発現なのには驚く。日用器具やornaments[*装飾品]などにもよいものが多い。ペルジャへわざわざ来た、それに報ゆるものはこのMuseo Etruscoだったろう。
Palazzo Municipio[*市庁舎]の三階にあるpinacoteca[*ウンブリア国立美術館]も相当よいmuseoである。
  Duccio di Buoninsegna[*ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ]
    Madonna[*《聖母子と6人の天使(ペルージャの聖母)》]
  Lippo Vanni[*リッポ・ヴァンニ]
  Bicci di Lorenzo[*ビッチ・ディ・ロレンツォ]
  Fra Angelico Madonna[*《グイダロッティの祭壇画》]
  Benedetto Bonfigli[*ベネデット・ボンフィリ]
    Madonna[*《聖ドメニコの聖母》のこととみられる]
其他三室の十四世紀のfrescoがよい。
Piero della Francesca[*ピエロ・デッラ・フランチェスカ]の一枚があるが、あまりよく感じなかった。Perugino[*ペルジーノ]が沢山ある。
勿論Raffaelloなどよりはずっとうまいと思た。
けれどprimitif[*1]とは[*より]表面的ともいへる。
Pintoricchio[*ピントリッキオ]の聖母の下の小さい二つの画がよい。十六七世紀頃のものはさっぱり駄目だ。
すぐ隣りのCollegio del Cambio[*コッレージョ・デル・カンビオ]へ入った。Peruginoのfrescoesがある。しかし大した事もない。
人が町にうようよより集ってゐる。雨が降るし、Raffaelloの画のある寺などもう見たくもなくなった。Arco Etrusco(又、Arco di Augusto)[*エトルリア門、あるいはアウグストゥスの門]を見にゆく。何でもないが、四角い石が古代を表す。すべて古代のものは頑丈だ。
Cathedral[*サン・ロレンツォ大聖堂]。もう大抵のDuomoおきまりのGothic[*ゴシック]。陰鬱で、しけ臭くて好かない。基督教はこんな所にのみあるのでないだらうと思ふ。
前のpiazza[*広場]Fontana Maggiore[*マッジョーレ噴水]がある。一寸よい多角形をしてゐる。1277-88建[*ペルージャ市によると1278~80年の建造]
Giovanni Pisano[*ジョヴァンニ・ピサーノ]とNiccolo[父のニッコロ=Nicola(ニコラ)]の浮彫があるのだ。これも大したことなし。一体、中世の装飾たっぷりの美くしさといふのはあまり有難くない。
霧雲が来て何も眺望がない。hotel近くのPorta Marzia[*マルツィア門]も見た。電車でPerugiaを後に下って行く時、西空が晴れて幾重にも重なったなだらかな丘陵には水雲がかぶさって星が輝いてゐる。聖書のやうな風景。その一瞬はPerugiaへ来ての悪い印象を回復した。七時十分発の汽車でTerontola[*テロントラ]乗りかへ、buffet[*ビュフェ]つと入りの弁当を買てRoma行きの汽車に乗る。
汽車がしばらくしか停車しないので、めしゃくしゃに三等に乗り込む。
Orvieto[*オルヴィエート]
Orvietoに着いたのが九時半過。こんな淋しい所とは思はなかった。cable tram[*ケーブルカー]で山上の町へ登る。空は心持よく晴れて星と月とが冴へる。中々寒くて冬空のやうだ。Hotel Palazzoに宿す。小さいがきれいだ。

【註】
*1 正しくは「Italian primitives」(英語)、「primitifs italiens」(フランス語)、「primitivi italiani」(イタリア語)。ルネサンスの礎が築かれた14~15世紀頃のイタリア美術とその芸術家たちを指す。最近は「プロト・ルネサンス」「プレ・ルネサンス」とも呼ばれる。

モンテモルチーノから見たペルージャの街(孝吉がイタリアで買い求めた絵はがきより)

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