1925・4・28 パリ

~孝吉の日記~

火。Belle Jardiniere[*百貨店ベル・ジャルディニエール]へ仕事着を買ひに行く。Vildracさん[*シャルル&ローズ・ヴィルドラック夫妻]のお宅でひるの御馳走をよばれる。夜、Gare Saint-Lazare[*サン=ラザール駅近くのThéâtre des Arts[*テアトル・デ・ザール(芸術劇場)]Pitoëff[*1]の芝居を見る。現在では最も人気のある俳優だ。
題はJeanne d’Arc[*2]でMadame Pitoëff[*3]がつとめる。
ピーランデロの脚本[*4]で、節が深刻、広大で俳優がよい為、力のある芝居だった。
日本のよい芝居とやはり精神は同じだ。

【註】
*1 ジョルジュ・ピトエフ(1884~1939)。ロシア・ティフリス(現在のジョージア・トビリシ)でアルメニア系ロシア人として生まれた。フランスで俳優・演出家として活躍。この日の舞台を演出するとともに、出演して国王シャルル7世役を務めた。
孝吉がこの年1月に鑑賞した演劇『クノック』を演出・主演したコメディ・デ・シャンゼリゼのルイ・ジュヴェ、4月19日に鑑賞した『スティルベック教授の風変わりな妻』を演出したスタジオ・デ・シャンゼリゼのガストン・バティ、アトリエ座を率いる俳優・演出家のシャルル・デュランと、フランス前衛演劇の発展へ相互扶助の「カルテル4人組」(「4人連盟」とも訳される)を1927年に結んだ。
*2 ジャンヌ・ダルク。演劇のタイトルは正確には『聖ジャンヌ』(Sainte Jeanne)。この日がピトエフの演出による公演初日で、評判を呼んだ。
*3 リュドミラ・ピトエフ(1896~1951)。ジョルジュと同郷の妻で、俳優。ロンドンやニューヨークでも公演し、映画にも出演した。
*4 孝吉の誤り。『聖ジャンヌ』はイタリアの劇作家ルイジ・ピランデッロではなく、英国(現在のアイルランド)・ダブリン出身の劇作家バーナード・ショー(1856~1950)の戯曲。バーナード・ショーはこの年1925年秋にノーベル文学賞を受賞している。

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