4・18
~孝吉の日記~
土。晴。午後、画商などを見て歩く。夜、岩田氏[*岩田豊雄]寓[*仮住まい]を三人で[*川島理一郎・エイ夫妻と]訪ねた。


この日の画廊巡りで見たとみられるスペイン生まれの画家ハシント・サルヴァド(1892~1983)の個展の目録。水彩やエッチング作品ほかを取り混ぜて展示している。
4・19
~孝吉の日記~
日。快晴。手紙など描く。夜、Théâtre des Champs-Élysées[*シャンゼリゼ劇場]のStudio[*小ホールの「スタジオ・デ・シャンゼリゼ」]を見る。
小さい劇場で、décor[*装飾]がよい。
題はL’Étrange Épouse du Professeur Stierbecke[*スティルベック教授の風変わりな妻]。
装飾も所作も頗る新しく、キュービスト[*キュビスムの画家たち]やシヤガラ[*シャガール]の画など見るやうで、現代をよく表はす。しかし、東洋に見るやうな超現実の悦は得られない。


この日のスタジオ・デ・シャンゼリゼのパンフレットによると、「スティルベック教授の風変わりな妻」は、第1次世界大戦後に世界中から人が集まり、交流を通じて文化・芸術が花開いた「狂乱の時代」と呼ばれる時期のパリらしく、多彩な人々が関わってつくった舞台だった。
当時のシャンゼリゼ劇場全体の総監督は、同劇場を借り上げていたスウェーデン出身のロルフ・デ・マレ(1888~1964)。1920年11月から25年3月まで、ジャズや黒人文化などを積極的に取り入れた前衛的なバレエ団「バレエ・スエドワ」を主宰、同劇場を本拠地としていた。キュビスムを中心とした美術コレクターでもあった。
演出は絵画感覚で知られるフランス人ガストン・バティ(1885~1952)、舞台装飾と衣装は、孝吉が日記で触れたシャガール同様、1920年代にロシアを離れたボリス・メスチェルスキー(1889~1957)が手掛けている。
原作者のアルベール=ジャン(1892~1975)は、演出を手掛けるバティに原稿を渡す際、時代や国、衣装を特定せずに委ね、幻想的であることだけを求める言葉を書き添えたと、パンフレットに寄せた一文で明かしている。
4・20
~孝吉の日記~
月。曇。寒い。午後、川島さんに箱屋へ来てもらう[*1]。それからMagasins Réunis[*百貨店「マガザン・レユニ 」]へ買物に行く。
夜、Théâtre des Champs-Élyséesへ行く。
Opéra Music-Hallのsaison[*シーズン]である。
S.Feuermannのviolon solo
Hidalgo嬢 soprano
Magliani et Bergéのdanse
Maurice Rostand poème
Billy Arnold’s danse jazz
美くしく、面白い。
【註】
*1 ヴァロキエの作品《オルヴィエート》を日本へ送るための箱調達が目的だったか。



この日、孝吉が買ったとみられるシャンゼリゼ劇場のパンフレットと補遺。「SAISON OPERA MUSIC-HALL」としている。
■「オペラ・ミュージック・ホール」となったシャンゼリゼ劇場
シャンゼリゼ劇場の核をなす最も大きなホールは今、オペラやクラシック音楽の殿堂ともされ、格調を誇る。だが、この月から翌1926年にかけてのごく一時期、「オペラ・ミュージック・ホール」と掲げた。パリのミュージック・ホール(フランス語読みで「ミュジコール」)といえば、フォリー・ベルジェールやオランピア、カジノ・ド・パリ。大衆演芸の場だ。月末にパリで開幕する現代装飾美術・産業美術国際博覧会(アール・デコ博)を前に、世界中から人が集まる機会をとらえて客層拡大へ大胆に舵を切ったようにもみえる。この時期、何が上演されたのだろう。
4月17~30日のプログラムに挙げられている演目は一夜に上演するにはかなり多く、孝吉が日記に記したのは一部でしかない。心に響いたものだけを書き留めた可能性がないとは言い切れないが、おそらくプログラムに挙げた演目の中から日によって異なるものを上演したのではないか。
日記にある演目を見てみよう。
▷ジグムント・フォイアマン(1900~52)のヴァイオリン独奏
フォイアマンはオーストリア出身。パブロ・カザルスと並び称されたチェリストの弟エマヌエル同様、幼少期から活躍した。プログラムによると、パリでの演奏は初めてだった。
▷エルヴィラ・デ・イダルゴ(1892~1980)によるソプラノ独唱
イダルゴはスペイン出身。マリア・カラスの指導者としても知られる。
▷エミー・マリアーニ(1875年頃~?)と、マルセル・ベルジェの舞踊
マリアーニはイタリア出身。
▷モーリス・ロスタン(1891~1968)による詩の朗読
ロスタンはフランス人。
▷ビリー・アーノルド(1894~1962)のバンドによるジャズ演奏に合わせた現代舞踊
アーノルドは米国人。米国のジャズスタイルを欧州にもたらし、プログラムで紹介されているように「ジャズの王」と呼ばれた。
質の高いクラシック音楽あり、詩の朗読あり、ジャズに合わせた現代舞踊あり、と幅広いジャンルを組み合わせ、世界中の出演者を取り込んで娯楽性の高い贅沢なステージをつくっている。プログラムによると、ほかに、うねるように動かす絹の布に光を当てるパフォーマンスを生んだ米国人舞踊家ロイ・フラー(1862~1928)も出演。ムーラン・ルージュで当たりを取った「ホフマン・ガールズ」(1925年1月14日参照)の向こうを張ってか、「シャンゼリゼ・ガールズ」が幕間を担った。
シャンゼリゼ劇場が「オペラ・ミュージック・ホール」だった期間に最も話題を集めたのは、この年10月から黒人のレヴューに加わった米国出身のジョセフィン・ベイカー(1906~75)だった。身体のごく一部を覆った姿で踊り、たちまちパリを席巻。ピカソやコクトーらも彼女を描き、「黒いヴィーナス」と呼ばれる。1937年にフランス国籍を取り、第2次世界大戦中のレジスタンス運動や人種差別撤廃を求める米国の公民権運動にも関わって、2021年に黒人女性として初めて偉人が眠るパンテオンにまつられた。この時期の劇場が人生を変えたのだった。