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1925・3・3 イタリア・ペルージャ-オルヴィエート
~孝吉の日記~火。雨。又、運が悪く雨だ。馬車でUniversita Museo Etrusco e Romano[*大学にあるエトルリアと古代ローマの博物館]へ走らす。Etruscan のsarcofago[*石棺]やtomb[*墓]の石の横くしか停車しないので、めしゃくしゃに三等に乗り込む。Orvieto[*オルヴィエート]Orvietoに着いたのが九時半過。こんな淋しい所とは思はなかった。cable tram[*ケーブルカー]で山上の町へ登る。空は心持よく晴れて星と月とが冴へる。中々寒くて冬空のやうだ。Hotel Palazzoに宿す。小さいがきれいだ。 【註... -
1925・3・2 イタリア・アッシジ-ペルージャ
~孝吉の日記~月。曇、後、晴。窓外Umbria[*ウンブリア]の野原がぼんやりとコバルト色に遠くへかすんでゐる。光線がよいので又San Francesco[*サン・フランチェスコ聖堂]へ行ってみる。昨日より明るくてよく見えた。Giotttoの画に見出される。やはり見てゐる程よくなってくる。Lower church[*下堂]のPietro Lorenzetti[*ピエトロ・ロレンツェッティ]の聖母は中々美くしい。churchを出ると馬車屋がSan Damiano[*サン・ダミアーノ]へ行かんかと頻りにすゝめるので行てみる。馬車賃だけ損をしたよう... -
1925・3・1 イタリア・アッシジ
~孝吉の日記~日曜。雨。朝から曇てゐる。アッシジ、ペルジア[*ペルージャ]、オルビエット[*オルヴィエート]への一人旅に出かける。Roma九時発。Orte[*オルテ]あたりから雨が降り出す。連日の雨の為に川は泥水が溢れて畑も木も水つきの所が多い。なだらかな丘陵の斜面に青草を食ふ羊や牛の群はゆったりとしたものだ。汽車はだんだんと山間に入って行く。Orvietoへ来た時分には、つぶのやうな雨がびしびしと窓をうつ。暗雲が山に下って雨となっておちる。同車中のペルジアへ行く女がフランス語で話かける... -
1925・2・28 ローマ
~孝吉の日記~土。雨、後、晴。Museo Laterano[*ラテラノ美術館]へ行く。二度目である。よいstatue[*彫像]、torso[*トルソ。胴体部の彫刻]、などが沢山ある。どう見てもそれは希臘のものである。午後、Thomas Cook[*旅行会社、トーマス・クック]でAssisi[*アッシジ]行の切符を買ふ。Museo Terme[*ローマ国立博物館]へ二度目に行く。やはりよいものが多いので感心。chiostro[*回廊]の庭にならんでゐる中によいものが多い。頭や足がないtorsoなので写真にもうってゐない。このよいものを記憶... -
1925・2・27 イタリア・ティヴォリ
~孝吉の日記~金。雨。朝、曇てゐたが、Tivoli[*ティヴォリ]へ出懸る。Porta S.Lorenzo[*サン・ロレンツォ門=ティブルティーナ門]から軽便と噴水、苔さびて古色美くし。樹陰のbasin[*池]を二枚写生する。雨が降り出す。川へ面して立つTempio della Sibilla[*6]を見る。円形に18のcorinthian[*コリント式の]柱が立ってゐたのだが、今は七八本[*正しくは「十本」]しかない。そのとなりにTempio di Tiburto[*7]のruinがある。周囲の家がよくないし、風景もTempleをよく見せない。あまりよ... -
1925・2・25~26 ローマ
2・25 ~孝吉の日記~水。快晴。Museo Borghese[*ボルゲーゼ美術館]へ行く[*1]。春晴れで、Villa Borgheseのgiardino[*庭園]が美くしく噴水やstatue[*彫像]ものどかなり。Museoでは例のTizian[*ティツィアーノ]の愛の神と地の神[*《聖愛と俗愛》と呼ばれている作品]の前で永く立ちどまる。何の理由もなしに美なんだ。好きな画である。ベスト[*2]でportico[*柱廊玄関]のstatue二三を写す。午後、又、Andersonへ行く[*3]。 【註】*1 岩田豊雄と一緒に訪ねた2月21日に続いて... -
1925・2・23~24 ローマ
2・23 ~孝吉の日記~月。朝、電車でS.Giovanni in Laterano[*サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂]へ行く。寺は大きいが内部はよくない。Museo[*ラテラノ美術館]を見る。彫刻とinscriptions[*碑文]ばかりだ。よいものも沢山あるが、それは皆、希臘彫刻と思はれる。Romanのものにしても初期のものだ。随分感心した。二階に大きなTerme Caracalla[*カラカラ浴場]のモザイックがある。中々よい出来だ。こんなものがあるからRomanも捨てられない。立派なものだ。晝食にRistorante Ulpiaへ行かう... -
1925・2・22 ローマ
~孝吉の日記~日。快晴。午後、時雨。San Pietro[*サン・ピエトロ大聖堂]へ参詣[*1]。世界で最大のéglise[*教会]で、その大きさには圧せられるが、内部装飾の金ぴかの業々しさはお上りだましとより思はれない。早速外に出てしまう。電車でMuseo Capitolino[*カピトリーノ美術館]へ行く。こゝは彫刻ばかりであまりよいものがない。向ひ側のPalazzo dei Conservatori[*コンセルヴァトーリ宮殿美術館]にも彫刻がある。十程よいものがあるが、それは主としてGreekだ。こゝではRomanのものでよいもの... -
1925・2・21 ローマ
~孝吉の日記~土。雨。馬車でGalleria Borghese[*ボルゲーゼ美術館]へ行く。portico[*柱廊玄関]にantique statue[*古代の彫像]が置いてある。torso[*トルソ。胴体部の彫刻]に二三よいものが見られる。中の彫刻はあまり感心しない。画はる。庭 ローマ国立博物館の所蔵品のうち、孝吉が日記で「〇」をつけた《眠れるエリニュス(復讐の女神)》《ルドヴィージのメデューサ》などと呼ばれる作品(孝吉が現地で買った絵はがきから) やはり「〇」を付けた《母なるヴィーナス》(同) 《アンツィオの少女... -
1925・2・20 ローマ
~孝吉の日記~金。晴。早速、午前、Vatican[*ヴァティカン]へ電車で行く。Piazza S.Pietro[*サン・ピエトロ広場]のオベリスクと勢よく水を噴く二つのfontana(噴水)は大きなdoric[*ドーリア]式の円柱の立ちならぶ円形のcolonnades[*列柱]と共に壮観だ。Vaticanの西北の端の入口から入る。大きな宮殿で立派な所もあるが、王[*教皇]の無趣味の豪華が建築をいやなものとしてゐる所が多い。つまらないものを沢山陳の追想をさまたげるが、列柱の上に残された一capital[*柱頭] のdecoration[*装飾...