-
1924(大正13)・11・27 ペナン
~孝吉の日記~Penang未明、Penang着。午前九時、上陸。晴。自働車にてBotanical Garden、Chinese Temple(一名 極楽寺)、Snake Templeを見物。Botanicalはシンガポールのそれに劣る。Snake Templeは見るべき価値なし。されど、途中の薫香たゞやう椰子の村落を走る。微風涼しく我を忘る。その間、二時間半。10$なり。正午、船に帰る。午後三時、出帆。コロンボに向て進む。天気晴朗。暑し。 -
1924(大正13)・11・26 マラッカ出港
~孝吉の日記~未明、マラッカ出帆。曇。暗雲垂れて小雨至りて又やむ。海、油の如し。夕焼、暗雲、鏡の面うつりて美くし。 -
1924(大正13)・11・25 マラッカ
~孝吉の日記~未明、シンガポール出帆。両岸の景色美はし。マラッカ曇。スマトラとマレー半島の間を走る。午後三時、マラッカ着、上陸。やはり強烈なる色彩、熱帯美を発輝す。古代城門を見、丘上の城趾を見る。景色佳なり。夕に沈みゆく町の河、緑のベールに覆はれたる如し。町暮れて灯火点々、河水にあり。夏なり。横町に入りて印度サラサを買ふ。赤色古雅にして美くし。黒暗のうちにランチ[*上下船に使う小型船]に乗うつり帰船。西洋の若き女等、唱うて情調あり。隅田の川開き納涼舟の如く、ゆらゆらと行く... -
1924(大正13)・11・24 シンガポール
~孝吉の日記~船は一日碇泊。午前、busにて博物館へ行き見物。珍らしいものあれども大したる事なし。門外にて水彩のスケッチをやる。正午、一度船に帰り、午後又、写生に出る。暑くて閉口。後、自働車で百貨店へ行き、午後五時、Raffles Hotelのダンスを見る。堂々としたhall、美くしい音楽と男女、赤い電光。それは、シンガポール[*という]よりも、もうヨーロッパへ来たやうなり。同汽船客の一独人と共に碩田館旅館にて晩餐。独人、しゃれを云て面白し。自働車にて帰船。シンガポールの一日は印象が深い。晩... -
1924(大正13)・11・23 シンガポール
~孝吉の日記~シンガポール正午、シンガポール上陸。安い自働車を雇って海岸通、植物園、Reservoir[*貯水池]、ゴム園等を走らす。真黒なマレー人とその赤い着物、熱帯植物と別墅の庭園、草花。その熱烈なる色彩は自分の想像以上にて、豊かな自然物、土地は吾々の日本には羨望の至りであった。Raffles Hotelにて茶を飲む。夕方、船に帰る。ハイフェッツ氏下船。石原氏も下船。 -
1924(大正13)・11・22
~孝吉の日記~午後、プールにて水泳す。夜、シンガポール上陸の船客の為、送別会あり。川島氏、逆立をやったのには皆一驚す。 -
1924(大正13)・11・21
~孝吉の日記~快晴。追手にて海波静かなり。正午頃、西貢の陸地近くを進む。大陸の山の頂は輝いたる雲にて覆はれたり。夕暮、川島君、プールにて水泳す。今日も夕焼は美くしいといふよりも荘厳なるものであった。夜、甲板に東風涼し。闇夜。 -
1924(大正13)・11・20
~孝吉の日記~朝、少雨。午後晴。浪静まる。夕焼の空美くし。印度支那の方へはるかに水平線下に没し行く美くしい赤焼の空と暮れて行く空の明星とを望む。感慨深し。この日午後、プールを作る。海水いよいよ青く、岩絵具の濃き紺青の如し。 -
1924(大正13)・11・19 香港出港
~孝吉の日記~快晴。油絵の如き港の景色を望む。正午出帆。港を出でゝ風光益々美くし。午後曇。波あり船少々動揺。 ■ 同室の人、石原廣一郎 その1 18日に香港から乗船し、同室になったと孝吉が書く石原廣一郎(1890~1970)は、同郷の人だった。2人とも京都出身。26歳の孝吉に対し石原は34歳で、8つしか違わない。そんなことから、日本郵船が初対面の2人を同室に割り振ったのかもしれない。 石原は後に「南洋の鉱山王」と呼ばれるようになる実業家だ。化学メーカー、石原産業の創業者である。... -
1924(大正13)・11・18 香港
~孝吉の日記~香港未明、船、香港に入る。快晴。午前、朝食後上陸。立派な欧風の市街を行き、Tram[*ケーブルカー]にてPeakに登る。風光絶佳。道路の美くしきに感心す。南国の濃厚な草花樹木の間、白き洋館の別荘の点在美くし。陶陶仙館にて支那料理の昼食をす。それより市場にて果実を買ひ込み、駕籠氏[*1]乗船、同室。 香港・ピークより、眼下に広がる街並み。高層ビルが林立する今とは随分光景が違う(1924年11月18日)=撮影・孝吉 ■幻? 「帝都復興の恩人」ハイフェッツの箱根丸乗船 この日...