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1924(大正13)・12・28 パリ
~孝吉の日記~日曜日。午前、手紙をかく。午後、S.Germain[*サンジェルマン]通のtailleur[*仕立て屋]で洋服をあつらえる。夜、Saint Michel[サン・ミッシェル]散歩。 -
1924(大正13)・12・27 パリ
~孝吉の日記~土曜日。雨。午前、St.Germain[*サンジェルマン]通を散歩。午後、Louvre[*ルーヴル美術館]へ行く。初めて絵画室を一覧した。もう何と云ってよいかわからない。あまりに圧倒されるやうで息苦しく迠古大家、レンブラント、ドラクロア、ミレー其他、深刻で自然の表面を走て居ない。今日は自分にとって記憶すべき幸福な日である。 -
1924(大正13)・12・26 パリ
~孝吉の日記~正午、hotelを出でMétroでPorte Maillot[*ポルト・マイヨ]下車。日本人倶楽部[*Cercle Japonais]へ行。やはり日本料理がうまい。それより日本大使館へ行き、タクシーでGaleries Lafayette[*ギャラリー・ラファイエット。百貨店]へ行。夕暮の美クシイ賑ひは、めまぐるしい光景だ。一度帰館後、Montmartre[*モンマルトル]のバルタバラン[*Bal Tabarin。キャバレー]でdance hallを見る。こゝも亦、華美な歓楽境を現出する。豊満な肉的のダンサーの体躯は男を魅惑、悩殺する。商売屋のda... -
1924(大正13)・12・25 パリ
~孝吉の日記~木曜日。今日はクリスマス。朝からSt. Sulpice[*サン=シュルピス教会]の荘厳な鐘がひびく。朝は手紙を書く。晝食として荘厳な讃美歌がひびく。やっとの事で外に出てtaxiでCafé Wepler[*ウェプレール]に茶をのむ。中はまばゆいやうな電気で美くしい。hotelへ一度帰て支那料理へ行く。夜は手紙を書く。 -
1924(大正13)・12・24 パリ
~孝吉の日記~曇。午前、すぐ一町[*109メートル]程のMusée du Luxembourg[*リュクサンブール美術館]へ行く。こゝは十九世紀近代の絵画彫刻が陳列されてゐる。Louvreの古代芸術に讃嘆した自分は近代の芸術にあまり感心もしない。さすがCézanne、Renoir、Manet、Matisse、Gauguinなどは自然の真にふれてゐる。けれど他の大きさばかり、唯の磨きあげた表面の浅い技巧ばかりは少くとも推古奈良の芸術を知って居る自分を引きつける何物をも持たない。それよりSt.Germain[*サンジェルマン]附近で晝食をかざ... -
1924(大正13)・12・23 パリ
~孝吉の日記~火曜日。晴。川島さん[*川島理一郎]に来てもらってOpéra附近のBoule. des Capucines[*カプシーヌ大通り]、Lloyds and National Provincial Foreign Bankへ金を引出しにゆく。外国係部長の爺さんが東京の地震[*関東大震災]の話を聞いて驚く。それよりBanque Franco-Japonaise[*日仏銀行]へ行く。門で箱根丸で来た人二三人に会う。正午、hotelに帰る。St.Germain[*サンジェルマン大通り]近くのDuval Restaurantにて午餐。牡蠣の少しを見て外に出る。Jardin des Tuileries[*チュイル... -
1924(大正13)・12・22 パリ
~孝吉の日記~晴。朝、本名さん[*本名文任]と近くのSt.Germain[*サンジェルマン]通りをうろつく。本屋が沢山あって自分等にとって都合がよい。晝食は皆でSorbonne[*ソルボンヌ大学]近くの支那料理を食べに行く。うまい。Sorbonne大学医科大学の堂々たる美くしい建築に驚き又Panthéon[*パンテオン]の大きさに感心。すっかりお上りさんのやうに何を見ても嘆賞の声を発せずにはゐられない。Luxembourg[*リュクサンブール]公園を通り抜ける。かわいい子供が沢山遊んでいる。13.Rue des Feuillantin... -
1924(大正13)・12・21 パリ
~孝吉の日記~日曜。七時半、夜が明ける。表のplace[*広場]には自働車が走り出す。八時半起床。窓外霧。曇。軽いコヽアとパンの朝食をすまして川島[*川島理一郎]、岩田[*岩田豊雄]両氏がもう少し安いhotelを探してくれるので共に行く。街頭、冬枯の並木に霧立ちこめて落ちついたさびた重みのある家並び井然がうす暗く短くて生命は夜である。人皆も夜の歓楽の為に動いてゐるやうである。部屋はおち着いた間で気もはらず非常に居心地がよい。一日25f。 -
1924(大正13)・12・20 マルセイユ―パリ
~孝吉の日記~朝餐をすまして九時廿五分発のrapid[*急行列車]にて出発す。晴。南欧の景色は暖かでのどかである。色彩の濃厚な南洋を通って来た眼には、朝もやのかかった景色は灰色に見へた。Alres[*アルル]、Avignon[*アヴィニョン]などを通って北進す。Rhône河[*ローヌ川]にそって行く頃、曇って一面に霧が立ち込め、うすら寒い景色となる。Lyon[*リヨン]へ着いたのは三時半。もう夕暮れとなって、日の短いのに一驚。松方氏[*松方三郎]はスイスへスキーをやりに、堀氏[*堀敏郎]は正金[*... -
1924(大正13)・12・19 マルセイユ
~孝吉の日記~Marseille未明、船はマルセイユ港に入る。船の人々等に別れを告げて下船。川島氏[*川島理一郎]の通訳のお陰か、税関も大目に見て難なく通過。本名博士夫妻[*本名文任・蝶]と馬車でHôtel du Louvre et de la Paixに宿す。外のrestaurantで昼食。それより電車にてMusée[*美術館]へ行く。運悪く休日。それより又、電車にてNotre Dame de la Garde[*ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院]へascenseur[*昇降機]にて登る。マルセイユの港街を一眸のうちにあつむ。Notre Dameに詣って下り、hot...