1925・3・4 イタリア・オルヴィエート-ローマ

~孝吉の日記~

雨。水。Orvieto[*オルヴィエート]の街は古くて簡素だ。感じのよい所だ。Duomo[*ドゥオーモ]は相当立派だ。内部もあまり飾り気がなくて、まあよい方だ。Signorelli[*ルカ・シニョレッリ]の壁画、あまり感心しない。家並の間から遠い丘や畑が見えて雲が上り下りする。又雲がおりて来て、高山へでも登ったやうだ。雨がしとしとと降り出す。Duomoの前の写真屋でEtrusco[*「エトルリアのもの」の意で使っている]の複製を買ふ。そこでMuseo[*博物館]の切符も売てゐる。自分一人の為に気のよい爺さんが来てMuseoを開けてくれる。Etruscoのantique[*古代遺物]が相当ある。皆よい。大きな一つのsarcofago[*石棺]は立派で重くてところどころに残た色が素敵に美くしい古色を現はす。大きなcathedralよりもこの一つのsarcofagoの方が自分にとっては価値がある。その他、希臘のvase[*壺]もある。他の中世の基督教の遺物や絵などはとるに足るものがない。Duomoの向いのMuseo Faina[*クラウディオ・ファイナ博物館]。これも一人の為に開けてくれる。他に客もない。
Roman coins[*古代ローマの貨幣]、Greek、Etruscan、vase、エトラスクfuneral[*「埋葬関連物」の意で使ったとみられる]などがある。中々よい。午後、BC5cent.[*紀元前6世紀に遡る墓もある] Necropoli etrusca[*エトルリア墓地]へ行く。Arco Romano[*ローマ門]から大きな丘陵のうねりが見晴らせる。空は晴れて来て白い雲が輝く。雨後で道は泥深い。Orvietoの断崖にそって下って行く。土手には梅の花が咲いて女等が洗濯などしてゐる。川は曲り曲って走ってゐるのが光って見える。豆つぶのやうに白壁の家が野山に点在する。のどかな景色で桃山や奈良の春を思ひ出す。憧れてゐるSicilyの春もこんなだらうなど思ふ。Necropoli etruscaは小さい室が十五程もある[*墓の数は200を超える]。中には何もない。街を通り抜けて井戸、Posso di San Patrizio[*サン・パトリツィオの井戸](1527-40)[*今では完成は1537年とされている]の方へ行く。家も人も皆simpleでよい。積み上げられた壁石は正立方に近くて家の古い事を表はす窓のくり方も朴とつだ[*窓の造りや壁石の図4点あり]。家壁の古びた色や階段など味と風情に富んでゐる。二階の窓やバルコンからbella signorina[*美しい女性]がのぞいてゐるのが見える。子供はめづらしさうに見る。可愛い子供が多い。
Posso[*井戸]から又、大きな美くしい丘陵のpanoramaが見渡される。
hotel omnibus[*ホテルの乗合馬車・自動車]とfunicular train[*ケーブルカー]でOrvietoを後にした。午後五時発汽車に乗る。
夕空晴れて山上の街に西日が照て美くし。
暮れて行って光った川の面に山と夕空の雲が姿をうつす。葉の落ちたポプラや雑木が川岸に立ってゐる。深くて美くしい景色だ。七時半、Roma。
Arbergo Alexandra[*ローマの定宿Hõtel Pension Alexandra]に帰る。自分の家へ帰たやうだ。

切り立った凝灰岩の台地上にあるオルヴィエートの街(孝吉がイタリアで買った絵はがきより)

オルヴィエートのドゥオーモ(同)

ローマ教皇ゆかりのソリアーノ宮=右=(同)。孝吉1人のために開けてくれたという1つ目の博物館はこの中にあった。

エトルリアの墓地遺跡(1925年3月4日)=撮影・孝吉

オルヴィエートの街並み。エトルリアの歴史を持ち、風情に富むのどかなまちは、孝吉の心をとらえた。(1925年3月4日)=撮影・孝吉

雨上がりで坂道はぬかるんでいた。(1925年3月4日)=撮影・孝吉

オルヴィエートから蛇行するパーリャ川を望む。(1925年3月4日)=撮影・孝吉

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