1925・3・19 イタリア・ナポリ

~孝吉の日記~

木。晴。Santa Chiara[*サンタ・キアラ教会]へ行く。Giottoのフレスコがあると聞いたが見当らない。小さい聖母像が壁に残ってゐるのがそれか。[*1]
Museo Nazionale[*国立博物館。現在のナポリ国立考古学博物館]へ行く。希臘ギリシャ>埃及エジプトほとんど無条件の讃辞を呈してもよい。Pompeiiのfrescoesは何べん見ても美くし。その後、Pinacoteca[*2]を見た。チチアン[*ティツィアーノ]、レンブラントなど少しあるが、Pompeiiのfrescoesを見た後には色彩もそれに及ばず。Pompeiiの純真に比して少しでも作為のある事を見出さずには居られなくなった。
チチアンやレンブラントなどは前から好きで、そんな事を夢にも思ひたくないのだが、上には上があるのでし方がない。午後、うしろの山へFunicolare[*ケーブルカー]で登る。Castle[*サンテルモ城]の東のrestaurantで一休みする。
赤や黄の洋館の市街が一望のもとに見え、遠くに海とVesuvio[*ヴェスヴィオ]の山を望む。絶佳。の材料だ。
電車[*ケーブルカー]で下りて街を歩く。今日は祭日[*父の日]で人出と出店が雑とうする。夜、Teatro San Carlo[*サン・カルロ劇場]へ行く。Verdi[*ヴェルディ]のFalstaff[*喜劇『ファルスタッフ』]を見る。建物は大きくて少し古いが、あの金色の十八世紀趣味もoperaもあまり感心もしない。operaはこちらの目が肥えたのか、田舎臭い子供だましとしか見えなかった。期待が破られた。今日にかぎってねむくて閉口した。

【註】
*1 ジオットは工房の助手とともに14世紀建築のサンタ・キアラ教会のフレスコ画を手掛けたとされる。しかし、教会は15世紀に地震で被災。17世紀にはゴシック様式からバロック様式に大規模改修された。さらに第2次世界大戦中の1943年に爆撃を受け、フレスコの多くが焼失しており、ジオット自身が描いたのか、またどの部分を描いたのかについては議論がある。ジオットに敬意を抱き、各地で作品を熱心に見て回った孝吉がジオットのフレスコについて「見当たらない」と書いており、爆撃前の教会にはすでにジオットらしい作品はなかったのもしれない。今では聖歌隊席の壁に、ジオットと助手がキリストの死を悼む人々を描いたとされる壁画の断片が残っている。
*2 絵画室。孝吉訪問時、カポディモンテ宮殿から多くの絵画が移され、国立(考古学)博物館の建物の一角で展示していた。1957年に宮殿へ戻され、国立のカプディモンテ美術館となっている。

丘の上からのナポリの眺望。奥に見える山が、79年の噴火で火砕流がポンペイを飲みこんだヴェスヴィオ山(孝吉がイタリアで買った絵はがきより)

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