~孝吉の日記~
土。雨、晴。午前、Archaeological Museum[*国立考古学博物館]へ行く。
古代のもののよいのにはいつも感心する。あの古色の美くしさは心を痛める位だ。中庭にVolterra[*ヴォルテッラ。エトルリアの主要都市だった](Siena附近)やVolsinii[*ヴォルシニ。エトルリアの町]などから持て来たtomb[*墓]がある。それからcineraria[*骨壺]などが沢山置いてある。その中にも中々よいものがあるのに驚く。
午後、川島さんと一所にPitti Gallery[*パラティーナ美術館]へ行く。二度目である。チヽアン、ラファエル、チントレット、リッピ、ボチチェリ、ペルジノ、レンブラント、ルーベンス、ソドマ、ベラスケス、デルサルト、などの作品が沢山ある。しかし、これもあまりよいものを見過ぎた自分には最上の嘆賞をもらさない。それから、Uffizi[*ウフィツィ美術館]近く のSantiといふ古いristorante[レストラン]でマカロニを食ふ。うまくて安い。馬車でSanta Maria Novella[*サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂]へ行く。Gothic style of 1279-1350。内部も気持がよい。よいfrescoesが沢山あるのは予期以上だった。entrance wallにMasaccio[*マザッチオ]の磔刑[*《聖三位一体》]がある。中々よい。古色が美くしい。右側のcappella[*礼拝堂]にCimabueの大作、Madonnaがある[*1]。これも荘厳。又、半円[*図で表示]形の中に美くしいMadonnaが一つあった。Filippino Lippi[*フィリッピーノ・リッピ]のfrescoesもある。正面のchoir[*クワイヤ]の大壁に沢山のDomenico Ghirlandaio[*ドメニコ・ギルランダイオ]のfrescoesがある。中々よい色で古色蒼然として崇高。左側のStrozzi Chapel[*ストロッツィ礼拝堂]に大きな壁画Bernardo Orcagna[*2]の地獄、極楽の図がある。これも荘厳だ。沢山よいものがある寺だ。なほold cloisters(Chiostro Verde)[*古い回廊(緑の回廊)]に十四五世紀のfrescoesがあるが、今日は閉まって駄目。Santa Trinita[*サンタ・トリニータ聖堂]にはGhirlandaioのfrescoesがある。古色がよい。それからCook[*旅行会社トーマス・クック]へ行て明日のPisa行きの切符を買ふ。夕暮、アルノ河畔を散歩。雨雲が散らされて夕焼壮大。聖画を見るようである。
【註】
*1 ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの《ルチェッライの聖母》の可能性がある。16世紀の美術史家ジョルジョ・ヴァザーリが『芸術家列伝』でドゥッチョと同時代のチマブーエ作としたため、長く誤って伝えられてきた。孝吉が旅に携えたカール・ベデカーのガイドブック、イタリア第2版(1909年)でもなおチマーブエ作とされている。
*2 オルカーニャ作とされてきたが、今では兄のナルド・ディ・チオーネ作とされている。ストロッツィ礼拝堂の装飾を兄弟で担い、祭壇画をオルカーニャが、《最後の審判》《天国》《地獄》のフレスコ画をナルドが制作した。



「うまくて安い」と記したレストランSantiのこの日のメニュー

手前(下流)から、アルノ川に架かるサンタ・トリニタ橋とヴェッキオ橋、グラツィエ橋(孝吉がイタリアで買った絵はがきより)。街中を流れる川は人をひきつける。孝吉は、岩田豊雄とフィレンツェを旅した2月と同様、サンタ・トリニタ橋―ヴェッキオ橋間の右岸の宿に泊まっており、馴染みのできた風景だった。