1925・3・30 イタリア・フィレンツェ

~孝吉の日記~

月。快晴。朝、S.M.Novella[*サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂]のold cloisters[*古い回廊(緑の回廊)]へ行く。十四五世紀のfrescoesもcloistersもよい。川島さん二人は朝、Veneziaへ立たれる。
自分はまだ一寸見たいものがあるので、一日おくれて立つ。ボロニヤにも立寄る為に。午前、Museo Archeologico[*1]へ行く。Etruria、Egyptのものがたまらなくよい。そうして一つも悪いものを見ないのは不思議だ。皆、最上の芸術だ。あれにはrealism[*写実主義]もdecorative[*装飾的な。「装飾芸術」の意で使ったとみられる]もなにもない。総てが一つとなってゐる。記述であり、写実であり、装飾である。
あの時代の人間の思想や人生生活が羨望される。
余裕のあるゆうゆうとした時代が望ましい。午後、Palazzo Ricardi[*メディチ・リッカルディ宮殿]へ行ったら、Museo Archeologicoで会たSwissの美術学生に又出会う。Lippi[*フィリッポ・リッピ]の絵がある。そこのCappella Gozzoli[*2]は見のがしてはならない。
立派に保存されたGozzoliのfrescoesで充たされてゐる。
こゝでも亦、backの風景の美くしさ、草花、樹木の上手な取扱ひ、典型のやうでしかも深い自然のrealist[*写実主義者]たる事を証す。paradise[*天国]とはこんなものだらうと思ふやうな風景である。小鳥もよく出来てゐる。
例の学生と一所にPalazzo Vecchio[*ヴェッキオ宮]へ行く。随分広い。
Michelangeloの彫刻一つ、Ghirlandaio[*ギルランダイオ]一つ、Botticelliの油[*油彩画]二点、その他小さいprimitive[*プロト・ルネサンス]の聖画が二三点あるばかりだ。けれど、それ等は相当よいものである。高い塔の頂上まで登る。Firenzeの見晴らしが一目だ。走てゐるアルノ河、あちこちのéglise[*教会]、それから郊外の丘陵までGozzoliなどののやうでもある。快晴。Firenzeを明日去るsouvenir[*思い出]になった。下りる時、美くしいFirenzeに名残を惜しむ。
S.Maria Maddalena[*サンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ教会]へ行たが閉まってゐる。
夕暮、Alinari[*フラテッリ・アリナーリ]の写真屋へ寄る。

【註】
*1 国立考古学博物館。岩田豊雄と訪ねた2月15日、3月28日に続いて3度目だった。
*2 ゴッツォリの礼拝堂。「東方三博士(マギ)の礼拝堂」とも呼ばれる。ベノッツォ・ゴッツォリが東方三博士の旅を描いたフレスコ画がある。

サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の緑の回廊(孝吉がイタリアで買った絵はがきより)。前々日に訪れた際、回廊に入れなかったのが残念だったらしい。再度足を運んだ。

さようなら、フィレンツェー。孝吉がヴェッキオ宮のアルノルフォの塔から名残を惜しんだ街の眺め。中央は、塔の北東にあるドゥオーモ(1925年3月30日)=撮影・大橋孝吉

アルノルフォの塔から南を望む。中央はアルノ川に架かるグラツィエ橋(同)=同

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