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1925・3・19 イタリア・ナポリ
~孝吉の日記~木。晴。Santa Chiara[*サンタ・キアラ教会]へ行く。Giottoのフレスコがあると聞いたが見当らない。小さい聖母像が壁に残ってゐるのがそれか。[*1]Museo Nazionale[*国立博物館。現在のナポリ国立考古学博物館]へ行く。希臘てねむくて閉口した。 【註】*1 ジオットは工房の助手とともに14世紀建築のサンタ・キアラ教会のフレスコ画を手掛けたとされる。しかし、教会は15世紀に地震で被災。17世紀にはゴシック様式からバロック様式に大規模改修された。さらに第2次世界大戦中の... -
1925・3・18 イタリア・ポッツオーリ
~孝吉の日記~Pozzuoli行水。曇。弁当を持って一人でPozzuoli[*ポッツオーリ]へ出かける。海岸公園Piazza Vittoria[*ヴィットーリア広場]からtram[トラム。路面電車] No.52に乗て行く。途中、思てゐたやうに風景が面白くない。Pozzuoliの町は山に建てられて赤い壁の洋館が面白い[*1]。電車をPozzuoliで下りて歩き出したが、少々路が出てゐる。guideが来てうるさいし、入場料十リラもとられて馬鹿らしい。 【註】*1 現地の美術を学び、吸収しようと寸暇を惜しんで見て回る孝吉は「Pozzuoliの町は山... -
1925・3・17 イタリア・ローマ-ナポリ
~孝吉の日記~火。快晴。親しみの出来た羅馬を去る。九時の汽車でNapoliに向ふ。晴れ渡た空に桃の花が咲いてCampagna romana[*ローマ周辺の平野、カンパーニャ・ロマーナ]はのどかだ。長くつづいたRoman Aqueduct[*ローマの水道橋]、そのすぐ傍を走て行く。Arban Mountains[*アルバーノ山地]には白雪が頂に輝く。Napoli近くなって、油絵によささうな村と山の姿が美くしい。Napoli三時前、Napoli着。烈風が吹く。今度はContinental[*2月に岩田豊雄とナポリを訪ねた際に宿泊した海辺のホテル]をよして... -
1925・3・16 ローマ
~孝吉の日記~月。晴。午前、Museo Laterano [*ラテラノ美術館]へ行ってTerme Caracalla[*カラカラ浴場]からもってきたmosaicoを少しcopyした。中々よいのに感心。午後、Cook[*旅行会社、トーマス・クック]へ行て切符を買ふ。その他少し買物に歩く。明日は羅馬を立つ。来てから早廿五日間にもなる[*1]。親しいhotelなので、立つのに名残りが惜まれる。食堂のgarçon[*ギャルソン。ウェイター]の母がなくなった。きのどくで同情がよる。夕方、antichita(骨とう屋)へ行ってみる。コリンス[ギリシ... -
1925・3・15 ローマ
~孝吉の日記~日。晴。朝、Museo Laterano[*ラテラノ美術館]へ行たが閉ってゐる。近くのS.Croceの寺[*サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂]へ入ってみたが、何もよいものがない。それからSan Lorenzo[*サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂]へ行く。facade[*建物前面の外観]が一寸面白く、frescosの残りがよい色のニュアンスを見せる。そう古いものではないが、portico[*柱廊玄関]にもfrescoがある。中は新らしく建てられてよくない。廿二本のantique columns[*古代の柱]が... -
1925・3・14 イタリア・ティヴォリ
~孝吉の日記~土。快晴。Villa Adriana[*ヴィッラ・アドリアーナ。ハドリアヌスの別荘]へ出懸ける。第二回目だ。美くしい春日和で暖かい。オリブの林とruin[*遺跡]の壁とTivoliの山と美くしい景色を見て弁当を食ふ。水彩三四枚描いて帰る。愉快な一日だった[*1]。 【註】*1 孝吉の日記には、川島理一郎・エイ夫妻と一緒だったか記していない。しかし、1人で訪ねた2月27日に続く再訪であり、「愉快な一日」との記述からも共に過ごしたのは間違いないだろう。 孝吉がイタリアから持ち帰ったヴィッ... -
1925・3・13 ローマ
~孝吉の日記~金。快晴。午前、Villa Umberto Ⅰ[*1]のPalazzo Belle Arti[*2]へ行く。伊太利modern[*近代]の絵画ばかり。一つも取るに足るものがない。伊太利程、古代のよい美術を持ちながら現代はこんなものよりどうして出来ないか不思議である。こんなものなら日本の洋画の方がはるかに進歩してゐると思ふ。美術館は立派でこんな建築が日本にもほしく思ふ。Villa di papa Guilio[*教皇ユリウスの別荘]のmusée d’antique[*古代美術の博物館] 一名 Museo Nazionale Etrusco[*国立エトルリア... -
1925・3・12 ローマ
~孝吉の日記~木。朝から珍しく雪が降る。Vaticanへ小さいものを摸写でもしやうかと行たが、許可を受けなければならないので、いづれ又とよす。午後、Museo Laterano [*ラテラノ美術館] へ行ったが、又閉ってゐる。又、電車でGalleria Rospigliosi[*ロスピリオージ宮の美術館]へ行く。Galleriaは修繕中で、たゞGuido Reni[*グイド・レーニ]のAurora[*《アウローラ(曙)》]の天井画だけ見る。つまらないものだ。今日はどうも運のよくない日だ。夕方、町の本屋などを見て散策。Grec、Roman[*「古代... -
1925・3・11 イタリア オスティア・アンティーカ
~孝吉の日記~快晴。水曜。川島さん[*川島理一郎]と二人でPorta San Paolo[*ポルタ・サン・パオロ駅]から汽車でTiber[*イタリア語なら「Tevere」(テヴェレ)]川口の古都Ostia[*オスティア]の発掘[*現場]へ出懸ける。OstiaPompeiiによく似たRoman town[*古代ローマのまち]である。Castello[*ユリウス2世の城]は発掘品の小さいmuseo[*博物館]となってゐる。torso[*頭部ほかが失われた彫像]などに五六よいものを見受ける。scavi[*発掘された区域]はPompeiiを三分の一二にした位のも... -
1925・3・10 ローマ
~孝吉の日記~火。快晴。朝から写真など撮りに歩く。Ponte Fabricio[*ファブリキウス橋]は古色のある橋だ。Theatre Marcellus[*マルケルス劇場]のruins[*遺跡]も見た。中々かっちりとしたものだった事を想像する。Cloaca Maxima[*クロアカ・マキシマ]は古い下水跡だ。 テヴェレ川に架かるアエミリウス橋=手前左=とファブリキウス橋=右奥。中央は中州のティベリーナ島(孝吉がイタリアで買った絵はがきより) 孝吉がおそらくこの日に撮影したアエミリウス橋。紀元前2世紀に建設され、一部しか残っ...