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1925・4・16~17 パリ
4・16 ~孝吉の日記~木。曇。午前、Porte Maillot[*ポルト・マイヨ]で開かれてゐるSalon indépendants[*アンデパンダン展]を見に行く。三千点。その内つまらないものが九分五厘を占めて居るのは閉口した。しかし三十枚程は少し新しくて面白いものもあった。面白い以上に偉大なるものは殆で晩餐をよばれる。 【註】*1 アンリ・ド・ヴァロキエ(1881~1970)。フランスの画家、彫刻家、版画家。1927年に、川島理一郎と梅原龍三郎が前年に創設したばかりの国画創作協会第二部の在外会員とな... -
1925・4・15 パリ
~孝吉の日記~水。雨。午前、独逸へ再三行かれる柏村氏[*柏村次郎]が見へる。午後、大使館へ手紙を受けとりに行く。親戚や友人から手紙が来て、うれしく思た。友に会てゐるやうでよいものだ。夜、柏村氏をGare du Nord[*(パリ)北駅]へ送る。後、又、手紙をかく。 ■ -
1925・4・13~14 フランス・サン=クルー、パリ
4・13 ~孝吉の日記~Saint-Cloud[*サン=クルー]月。快晴。復活祭で郵便局も銀行も駄目。あてがはずれたので午後、郊外のSaint-Cloudへ行く。Châtelet[*シャトレ]から川汽船で行く。遊びに行く男女多くてづゞ[*数珠]つなぎになって待たされる。やっと四五廻目の汽船に乗る。一人2frs10、は安い。沢山のSeine[*セーヌ川]にかけられた立派な橋の下を過ぎて走る。両岸の景色が変化して美くしい。春風嫋々のやうな所が多い。現代の油絵の材料だ。 4・14 ~孝吉の日記~火曜。曇。川島さん[*川... -
1925・4・12 フランス・ヴェルサイユ
~孝吉の日記~ベルサイユ日。パンやハム、卵などの弁当持ちでVersailles[*ヴェルサイユ]へ川島さん夫妻[*川島理一郎・エイ]と出かける。絶好の天気。Invalides[*アンヴァリッド]の停車場から電車で行く。AlexanderⅢ[*アレクサンドル3世]橋附近、博覧会[*1]の用意をしてゐる。すぐ先に伊太利から帰て来た目には馬鹿らしい事のやうだ。Meudon[*ムードン]あたりの郊外住宅が美くしい。日曜でVersaillesは沢山の人出だ。大きな力強い羅馬建築などを見て帰た目にはpalace[*宮殿]もさう大して大... -
1925・4・10~11 イタリア・ヴェネツィア―フランス・パリ
4・10 ~孝吉の日記~金。快晴。朝九時の汽車でVeneziaを立つ。Milano着、午後三時。こゝでModane[*フランスのまち、モダーヌ]廻りの川島さん夫妻[*川島理一郎・エイ]と別れて、自分はSimplon[*イタリア国境に近いスイスの峠]越への列車で帰る。Lago Maggiore[*マッジョーレ湖]を離れる頃から白雪を戴くAlpsの剱峰があちこちに見へ出す。残雪が解けて至る所cascata[*滝]となって落ちるのが美くしい。川の水は透明で、立木には春の新緑がふいて、行く時に見た景色とは[*より]美くしく見へた。... -
1925・4・9 イタリア・ヴェネツィア
~孝吉の日記~木。快晴。朝、Accademia[*アカデミア美術館]からstation[*(サンタ・ルチア)駅]の方へあてもなく歩く。美くしい天気が輝く。sketchもした。午後、三人で[*川島理一郎・エイ夫妻と]Giardini Pubblici[*公共庭園]へ行く。目醒むるやうな新緑でのどかだ。明日はVeneziaを去るかと思ふと思出が残る。明月晃晃つる。gondolaの黒い影が音もなく行く。今日の今夜、吾等を引きとめるやうだ。 ■ペトラルカの夜 ヴェネツィアの風景には動きがあり、音がある。 古から旅人たちが魅了されたように... -
1925・4・7~8 イタリア・ヴェネツィア
4・7 ~孝吉の日記~火。曇。どこのあてもなく歩いて停車場の方へ行た。スケッチを一枚。午後、市場のところから向ひのCa’ d’Oro[*カ・ドーロ。黄金の館]の方を描く(水彩)。芸術は客観の再現ではなくて、精神を以て人間が感じた自然の真実な悦の頂上でなければならない。崇高の悦と力と熱と重さの永き継続でなくてはならないと思ふ。夕暮、川島さん[*川島理一郎]と街を歩いて土産屋をひやかす。夜のcanal[*運河]を汽船で帰る。あちこちの窓から燈がもれて、昔からの幾多のromanceが思ひやられる。 4... -
1925・4・5~6 イタリア・ヴェネツィア
4・5 ~孝吉の日記~日。曇。San Sebastiano[*サン・セバスティアーノ教会]へ行く。Titian[*ティツィアーノ]一枚とPaolo Veronese[*パオロ・ヴェロネーゼ]の画が沢山ある。VeroneseはTintoretto[*ティントレット]などとは[*より]数等下のようだ。午後、Accademia[*アカデミア美術館]附近で水彩をかく。にはか雨来る。 4・6 ~孝吉の日記~月。曇。朝、裏の方の小さいcanal[*運河]の方へ写生に行った。写真をとってやると云たら小供が沢山やって来るのも面白い。午後、Accademia di belle... -
1925・4・4 イタリア・ヴェネツィア
~孝吉の日記~Venezia土。曇雨。午前Ca’ d’Oro[*カ・ドーロ。黄金の館]へ行たが、修繕中で駄目。こゝにはチシアン[*ティツィアーノ]などの画がある。それから近くのPalazzo Giovanelli[*ジョヴァネッリ宮]へ行く。十一時からだと云ふので、少し遠いMadonna dell’Orto[*マドンナ・デッロルト教会]へ尋ね尋ねて行く。橋を四つ五つも渡てやっと見あてる。中にはTintoretto[*ティントレット]、Adration of Golden Oxe[*《黄金の子牛の礼拝》]、La Fine de Mona[*1]、La Presentazione al Tempi... -
1925・4・3 イタリア・パドヴァ
~孝吉の日記~金。早朝、Padovaへ出懸ける。九時廿分が壁を充たす。やはり偉大なる画家である。構図もよいものが多い。けれど希臘の芸術を見るよう―にはぴったりと自分を引き付け合一せない。理論からではなくて自分の持ちまえなんだ。唯の自然からの感情から来る事実に過ぎない。古のArena[*2]は公園になってゐる。次ぎにEremitani[*エレミターニ教会]を見る。十五世紀のfrescoesがある。南側のChapel of Santi Jacopo e Cristoforo[*3]にMantegna[*マンテーニャ]のfrescoesが十二面程ある。あま...