1924(大正13)・12・14 カイロ―ポートサイド

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~孝吉の日記~

快晴。午前中にカイロの素通りをやる。
                  時
    Get up             5,30     Start  6,30
    arrived    dead city    6,50      〃    7,10
     〃    Pyramids   7,35        〃    8,10
     〃    Mohamed Ali  8,40        〃    9,10
     〃    Rifai Mosque  9,20      〃    9,40
     〃    Museum    10,          〃   10,40
朝五時半、ボーイに起される。窓外未だ暗し。軽い朝食を取って一同、自働車でOld Cairoへ行く。全速力で走るので寒風顔に当たる。発掘中のOld Cairoそれは東京の震災後のやうな荒寥たる景色。太陽は東の地平線に昇る。guideの英語説明の後、去ってPyramidsへ向ふ。Nile川のisle[*中洲の小島]を通って真直に突走る。寒し。
ラクダや驢馬ろばに乗って行くもの、子羊を引いて行く者あり。畑は耕されて野菜青し。やがて三つの大きなPyramidsが見える。はるか南方にはMemphis、Sakkaraの丘が、連めんとしてよこたはる。
七千年前の世界の文化の中心、それを追想する間もなく車はMena House Hotelに着く。Pyramidはすぐ近くにそびえている。一同ラクダに乗て進む。早々からチップをねだられる。前から聞いていたが図々しさには驚く。Khufu[*クフ王]のPyramidの前でおきまりの説明後、Sphinx[*スフィンクス]へ行く。右手の後方にはKhafra[*カフラ―王]のPyramidがそびえる。黄色い石の色とコバルト色の強い空の色と、それはEgyptをよく表はす。
時間をいそぐので駱駝らくだを頻りに走らす。写真を撮る時間さへ充分ないのは遺憾。背より落ちない為に相当の努力が要る。Sphinxの前で写真を撮る。自分のカメラにも撮らせる。その後はやはりチップの請求。この所すべて金。あまりよい気持ちはしない。
Pyramid、Sphinxその第一印象は想像した程、壮大なるものではなかった。その周囲の雰囲気もMena house などの現代の建物が近くにあるので、古代の追想を害する。しかしMosqueなどの大きな建築を見た後もやはりEgyptの古代文明は依然として輝く。現代文化の煩雑を見た後に益々その価値を表はす事と思ふ。それよりZoological Garden[*動物園]Museumの前を通ってMohamed Aliの大Mosque見物。内陣拝観。大なるdomeはmosaiqueを以て飾られている。それよりすぐ下のRifai Mosqueの内陣拝観。読経して下坐する信者あり。Mahomet建築の代表なり。信仰によりてのみ、かくの如き大建築は造り得るものと思ふ。
Museum[*エジプト博物館]に行く。唯の一時間にて素通りする。素通るにはあまりにおしいけれど、時間が許さないのでやむを得ない。大なるgalleryに堂々たるエジプト彫刻が人を圧する。大きさの大なると、あまりに数の多いのは、期待より以上である。石彫、半浮彫、石棺、ツタンカメンの発掘品の殆ど全部、装飾具と唯一目見て過ぎる。この後再びこれを見得ないならば今の素通りも自分にとってどれだけの価値があるかしれない。唯の一時間、その間にEgyptの偉大なる信仰をうかがう事が出来た。再遊を期して去る。antiqueを売ている所ではほしいものが沢山あったが、今のところまあ辛抱してpost card百枚を買ってすます。
すぐ停車場より午前十一時の汽車にてPort Said へ向う。Wagon Restaurant[*国際寝台車会社の食堂車]にて昼食。皆、マカロニを沢山とってボーイを驚かす。砂漠の間を走る頃、砂塵が窓のすき間から入って、すべてのものの上に白くつもる。後、Canal[*スエズ運河]に沿ふて走る。
Port Said
午後三時、Port Said着。南部氏と関係のある伊太利人経営のFioravanti日本雑貨店に立ち寄って帰船。帰れば船内の有難味がわかって心おちつく。人気の悪いといわれるエジプトも南部なんぶ氏のお陰で都合よく短時間に見る事が出来た事を多謝す。トルコの方へ行く大村氏はこゝで下船。
船は夕五時、港を出帆。夕焼の雲と海岸に並んだ色美くしい洋館。それは港を美くしくした。
Cairo Muséeを見た日。それは自分にとって永久に記憶すべき日である。

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