ポスト印象主義からフォーヴィスム、キュビスム、表現主義、シュルレアリスムへ。芸術運動のめまぐるしい時代にあって流行を追うことをよしとせず、古代美術に普遍の美を見た絵描きがいた。大橋孝吉(1898~1984)。戦間期に渡った欧州で憧憬を募らせ、まだ足を運ぶ人の少なかったギリシャやエジプトを歩き回ってその美術に魅せられた。日本の旅では、都会を離れて山里や渓流、山の頂へ向かい、自然の美を画布に落とした。通底するのは、目新しさを追い続け、利便性を求めて自然を破壊する近代文明への懐疑であり、時代を超越した美を求める姿勢だった。
孝吉の美の探究はひたむきだった。吹きすさぶ砂塵、ロバの背に揺られる苦労も何のその。大正期に日本アルプスを縦走し、山頂付近に画架まで立てて絵筆をとる。岩小屋に寝泊まりして滝を描く。自宅を担保に入れて、ギリシャ美術を紹介する写真集を出版する。時には滑稽なほどだった。
没後の自宅アトリエには、日記のほか、大正期以降の素描、写真、絵葉書、書簡、パリで見た入札会の目録、時刻表まで旅の思い出が詰まった各種の資料が残されていた。孝吉には処分し得ない宝物だったろう。旅する画家にとって、旅は画業と表裏一体をなす。だが、旅の何よりの思い出であるはずの作品は、売れば手元から消えてしまう。せめて資料だけでも手元に留めたい、と考えるのは無理もない。
整理しようと開ける旅行鞄や紙包みは、まるで100年前のタイムカプセルのようだった。こんなものまで残して、と半ば呆れ苦笑しながら埃をはたくうち、親族の私さえ知らなかった孝吉の情熱に触れることになった。一緒に旅をして体験と感動を共有した人たち、道連れとなった人たち、山案内人など旅を支えてくださった人たちの生も立ち上ってくる。昔の各地の姿や時代が覗く。
市井の一画人を軸としたささやかな歴史であっても消えていくのは忍びない。そんな気がしてきて、孝吉の日記などの資料に時には文を添え、100年の眠りを覚ますことにした。
まずは、生涯最大の旅であり、人生に大きな影響を与えた1924~27年の初渡航とその時代を、100年の時を経て追う。日記には、画家仲間や若き日の小説家夫妻、建築家、美術研究者、ハンガリー人ピアニストら多彩な人たちとの出会いと同道が綴られる。孝吉が帰国後に活動した国画創作協会や、その第二部を引き継いだ国画会の前史、次の戦争に向かう戦間期という時代が垣間見える。数日分ずつまとめての更新になること、まだ埃をはたく作業が続き、調べ切れていないことをご容赦いただきたい。読んでくださった方の情報提供やご指摘も得て、加筆しながら進めたい。
孝吉は日本画から転じ、油彩画、水彩画、版画と幅広く手掛けた上、本名と雅号「三峽」を使い分けた。「幸吉」の誤字で紹介されることもままある。そのために人物像が分裂し、美術展の出品目録で確認できても所在不明の作品は少なくない。ご所蔵いただいている方からの連絡をちょっぴり期待しながら、ブログの旅に出る。