~孝吉の日記~
火。快晴。午後、多年憧れて期待してゐたPellerin[*1]のCézanne Collectionを見る。瀧山[*瀧山源三郎]、本名[*本名文任]氏その他二三人と同行。
Pellerin邸はAvenue de Madrid[*マドリード通り]で、Bois de Boulogne[*ブーローニュの森]の北方にある。
一同、Porte Maillot[*ポルト・マイヨ]のcaféで待つ。
日本大使館の証明をもらってNormandie大使[*2]の許可を得て行くことになってゐる。
五六十点はあるだろう。なる程と感心する。あの深静な精神とタッチ。一筆もおろそかにしない落着いた態度と力。物を単純化した事と、立体化した事と、主観的に一歩踏みこんだ事とは、セザンヌの業蹟が絵画史上偉大なる原因なんだ。そして現代の大家MatisseやDerain、Picasso、Braqueなどを培った基礎である。永久に静止実在する風景や静物、水浴の女、広い無限の空間の広がり。哲学であり宗教でもある。
だが現代の吾々はそれ以上にもましてあまりに多くのよいものを見過ぎてゐる為に、実の所、少しも自分にとっては期待程ではなかった。そしてあまりにも粛厳である為に東洋の間のぬけた大きさを見た我等にはちと息苦しくなるやうな圧迫を感じる。そしてCézanneはやはりヨーロッパの人であり、而も近代のフランスの文明に生れた事を裏書してゐる。埃及の彫刻や東洋の印度支那の仏像にしても同じ静感を受けるが、もっと大きくてゆったりとした宗教である。この上に望むならば、も一歩、東洋南国的などぎつさと、ゆったりした、間のぬけた力がほしく思われる。勿論そこにセザンヌ以後の大家のなすべき、今なしつゝある事が存在するだらう。
この領域に入るならば、東洋人や南国人の方がちと適当な精神のもち主であるやうにも思はれるが、日本も支那も総ての事に西洋の後を追て行きつゝあるのは遺憾ではあるが事実である。
【註】
*1 オーギュスト・ペルラン(1852あるいは1853~1929)。マーガリン製造で財をなしたフランスの実業家で、セザンヌやマネ作品のコレクターだった。自邸に作品を飾り、求めに応じて広く見せた。ペルラン邸を訪ねてコレクションを目にした日本人は多く、石井柏亭や島崎藤村らがその経験を綴っている。
*2 「Normandie大使」が誰を指すかは不明。ペルランは当時、自社工場を構えていたノルウェーの在パリ総領事を務めており、「ノルウェー総領事」(ペルラン本人)の誤りの可能性もある。