~孝吉の日記~
月。晴、小雨。今日は画商巡りをする。正午から二時迠閉めたりするので、時間をつぶす。
Opéraへ行て明晩のJan Kubelik[*1] violon concert[*ヴァイオリン・コンサート]の切符を買ふ。
40frの1er loge[*1階(日本の数え方では2階)ボックス席]の他は売れて残てゐない。それから、Galerie Marcel Bernheim[*マルセル・ベルネーム画廊]を見る。ウインドーにFriesz[*フリエス]の素敵なのが一枚。内実のある画だ。次にマデレン[*マドレーヌ寺院]の前のDruet(Rue Royale)[*ドリュエ画廊(ロワイヤル通り)]へ行く。四五の大家の展覧会だが、あまりよくない。Frieszの三四点はよいが、それでも出来がよい方ではない。
Devambez(43 Malesherbes)[*ドゥヴァンベ画廊(マルゼルブ大通り43番地)]。窓に嗣治[*藤田嗣治]の版画が四五枚出てゐる。その裏町のSimon(29 bis rue d’Astorg)[*シモン画廊(アストール通り29番地の2)]へ入って見る。Picasso、Derain[*ドラン]、Braque[*ブラック]、Vlaminck[*ヴラマンク]、Léger[*フェルナン・レジェ](キュービスト)などさすがはうまい。Picassoは大したものが出てゐない。形体を超へた現代の絵画運動も偉大な天才によって作られる時は、それは人格の表れである故に有意義なものとなる。
Rosenberg[*ローザンベール画廊]の二階にPicassoの展覧会を見た。大いに敬服した。あの現世離れした間の抜けた大きさと重さと落着き、それからsimpleな現代の精神。それは希臘、埃及が現代化したやうだ。やはり天才だ。好きになった。
お向ひのGalerie H.Fiquet[*H.フィケ画廊]にMaurice Utrillo[*モーリス・ユトリロ]の展覧会を見る。五六十点もあらう。皆相当の力作で落ちがない[*もれなく力作だ]。現代の巴里の色と、ねっちりとしたねばり気と、ごちごちした色の味がある。けれどPicassoのやうな、どかんとした所がない。同じ側のある画商に嗣治の画と、とし雄[*2]という日本人の画が沢山あった。裸体などよい所を見れば静かさと感触がある。けれど第一義の堂々とした本道からは逃げてゐる。そして健全から生れる偉力がなく、萎縮してセンチメンタルのやうだ。色もねずみで生気にとぼしい。
Barbazanges[*バルバザンジュ画廊]。モロッコの写生をしたものばかり陳べてあったがつまらない。その近くのBernheim-Jeune[*ベルネーム=ジューヌ画廊]へ行く。窓にDerainの松風景とVlaminckの風景。共に偉大だ。
Picasso、Derain、Matisse、Vlaminck、Dufy[*デュフィ]、Waroquier[*ヴァロキエ]、Friesz、Braque。これ等の人はCézanne[*セザンヌ]のやった道を一歩も二歩も手強くつきつめた。そしてCézanneやゴッホの画さへも一世紀も前のやうに見へる迠に、時代は先へ先へ流れて行く事を語る。
【註】
*1 ヤン・クーベリック(1880~1940)。チェコのヴァイオリニスト、作曲家。
*2 板東敏雄(1895~1973)。徳島県出身の洋画家。川端画学校に学び、帝展、文展に出品の後、1922年に渡仏。日本に戻らず、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・チュイルリーなどで作品を発表した。フランスで先に活躍していた藤田嗣治と交流し、アトリエを使わせてもらっていたこともある。