1925・4・1 イタリア・ボローニャ-ヴェネツィア

~孝吉の日記~

水。快晴。Santo Stefano [*サント・ステファノ教会群]へ行く。途中、高いTorre Garisenda[*ボローニャの斜塔2つのうちの「ガリセンダの塔」]の前を通る。寺は八つのégliseのgroup[*1]で古く、四世紀から興された。
主なるものは十二世紀[*2]、その北に第二のchurch、これは八角のbattistero[*正確には、元は「洗礼堂」だったとされる]で十世紀[*3]である。赤れんがの外面も中々古い。中にはantique columnsがある。
(Atrio di Pilato[*ピラトの中庭]
その裏の第三寺はRomanesque[*ロマネスク様式](1019[*4])である。そこのcolonnade[*列柱廊]は十一世紀のもので古風である。MilanoのSant’Ambrogio[サンタンブロージョ聖堂]を思ひ出す。第五寺もある。十一世紀のchiosro[*回廊]は美くしくて変てゐる[*5]。colonnadeやchiostroに二三、古いfrescoesが残ってゐる。
後、Accademia di Bell Arti [*美術学校]へ行く。途中、San Giacomo [*サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂]がある。facade[*ファサード。建物前面の外観]はよいが、内部は近代再建で駄目。
町は皆colonnadeが両側について、美くしくはないがなどには古風で往時を思はせる。黄と朱色の家の壁の色もよい。昔の町を歩いてゐるやうだ。AccademiaのPinacoteca[*絵画館]、沢山の大作を持ってゐる。フランジア[*フランチェスコ・フランチャ]、ラファエル、チントレット、コネグリアノ[*チーマ・ダ・コネリアーノ]、ペルジノ[*ペルジーノ]などの大作がある。しかし内容はよいmusée[*美術館]とは云へない。唯primitive[*プロト・ルネサンス]に少しよいものを見出す。伊太利の美くしい風景をbackに見出すものもある。一寸Museo Civico [*前日に訪ねた、今の市立(考古学)博物館]へ立寄り、下のristoranteで晝食ちゅうしょく後、一時半の汽車でBolognaを立つ。僧がフランス語で何かと話す。
Venezia
五時、Venezia 着。gondola[*ゴンドラ]で小さいcanal[*運河]をゆらゆら行くのはよい気持ちである。古風の家の裏窓の変転して行くところは飽きない。橋の形も中々よい。
やはりVeneziaは美くしい。Casa Petrarca[*カーサ・ペトラルカ]は気候がよいのでお客で多忙。やっと裏の方の部屋へ入れてもらう。前来た時には窓外にcanalを眺めたのだが、止むを得ない。

【註】
*1 地元では「7つの教会」として知られるが、現存する教会は4つ。中庭なども含めた8つの建築物が複合している、という表現で紹介されることがある。「第五寺もある」という孝吉の記述も、携えたガイドブックに基づき、教会に附属する建物などを含めて数えている。
*2 「主なるもの」は最初の入り口となる十字架教会を指すとみられる。説教壇が12世紀のもの、地下礼拝堂は1019年の建築である。
*3 この部分の歴史は伝承によると5世紀に遡るが、ハンガリーの侵略で破壊された。再建時期は今では11世紀とみられている。
*4 「ロマネスク様式」の「第三寺」は聖ヴィターレと聖アグリコラ教会を指すとみられるが、4世紀に起源を持つ同教会の再建は12世紀とされている。
*5 回廊の上の2階部分にアーチが異なるロッジア(涼み廊下)を積む構造となっている。

サント・ステファノ広場(孝吉がイタリアで求めた絵はがきより)。三角形の広場に面して柱廊のある建物が立つ。

サント・ステファノ教会群にあるピラトの中庭(1925年4月1日)=撮影・大橋孝吉

孝吉が美しいと称えたサント・ステファノ教会群の回廊(同)=同

回廊の2階部分にある涼み廊下(同)=同

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