~孝吉の日記~
金。雨、晴。朝まだ雨が降てゐた。後、止んだのでSant’Agostino[*サンタゴスティーノ教会]へ行く。雨あがりで、しめっぽい雲が切れておしやられて飛んで行く。丘上の街にéglise[*教会]、深い色をして壮大。Sant‘Agostinoの裏側がbrick[*煉瓦]で崖に突立するのがよい。内部も大してよいものがない。それから風景につられてPorta Tufi[*城壁の門であるトゥフィ門]の外まで行く。家の壁の色とオリブの渋い色が落着いた風景を作る。それからSan Domenico[*サン・ドメニコ聖堂]へ行く。こゝから亦、Duomo[*ドゥオーモ]の見晴らしが中々よい。寺の内部は飾気がなくてよい。Sodoma[*ソドマ]のfrescoがある。そこを出てSan Francesco[*サン・フランチェスコ聖堂]へ行く。再建されてゐるが、内部の大きくて飾りがなく、正面のステンドグラスが温かみと荘厳を見せる。Madonna[*聖母]と磔刑のfrescoesはLorenzetti[*ロレンツェッティ]である。お隣りのOratorio di S. Bernardino[*サン・ベルナルディーノ礼拝堂]をNo.9のりんをならして開けてもらう。二階にSodomaなどのfrescoesがよく保存されてゐる。大してよくないが、それでも古色とfrescoesの味で当時を追想させる。一しきり風雨が来る。San Bandini[*1]の前の骨董屋で十四世紀頃と思はれる板の油絵マジの崇拝[*マギの礼拝](八号位)を200₤で買ふ。よい出来でこんな好きなものは一寸みつからない。
hotelで晝食。午後、Sant’Agostinoへ水彩のスケッチに行く。はからず三宅克己[*2]夫妻と他に一人スケッチしてゐられるのに出会ふ。水彩三枚を描いてSanta Maria di Provenzano[*サンタ・マリア・ディ・プロヴェンツァーノ教会]のPiazza[*広場]へ行き、又一枚スケッチをする。雨が又、降り出す。
Sienaは好きな画によい所が多い。
夜八時の汽車で立つ。うつうつ寝てゐるとFirenze十一時着。前のハイカラ美人に起されてびっくりして下りる。
【註】
*1 経済学者で聖職者でもあったサルスティオ・バンディーニのことか。像がサリンベーニ広場にある。
*2 1874~1954年。徳島市生まれの水彩画家で、光風会、日本水彩画会の会員。文展、日展にも出品している。水彩画と写真の普及に力を尽くした。1897(明治30)年に渡米してエール大学附属美術学校で学び、欧州には1898年を手始めに6回旅行。この時は5回目だった。中世の面影をとどめるシエナについて『欧州写真の旅』(三宅克己著、アルス、1921年)に、カンポ広場にただ立っていても「面白い写真の種は尽きません」とし、「其他町の内、何処を歩いても面白い」とカメラを向けたくなる光景、風景の多さに触れている。

雨上がりのシエナの街(サンタゴスティーノ教会より)。煉瓦色の街の外にオリーブ畑が広がる。まだ実用的なカラーフィルムは世に出ておらず、モノクロ写真では伝えられないこの街の色を描いて持ち帰りたかったに違いない。午前に続いて午後、今度は絵の具を携えて再びサンタゴスティーノ教会へ向かった。(1925年3月27日)=撮影・大橋孝吉

オリーブの木々の向こうに見えるマンジャの塔(1925年3月27日)=同

風景につられて、オリーブ畑が広がる地へと足を延ばす。(同)=同

サン・ドメニコ聖堂からのシエナの眺め。中央はドゥオーモ。(同)=同