~孝吉の日記~
木。曇、後、雨。午前八時四十五分、Firenze発。一人でSiena[*シエナ]へ出かける。Toscana[*トスカーナ]の平原はのどかだ。白樺のやうなやさしい枝をした立木が野川に姿をうつす。
なだらかな傾斜を持った丘陵は上の方まで耕されて畑となっている。田舎家や村里、教会が丘上に点在する。SienaがDuccio[*ドゥッチョ]やSodoma[*ソドマ]を生んだのも自然だとも思はれる。
あのprimitive[*プロト・ルネサンス]の宗教画の背景も自然のうちに見られる。
Siena
Empoli[*エンポリ]を経て十一時、Siena着。雨がしょびしょび降り出す。自分等にはよいだらうと思て二流のHotel Toscana(Via del Re[*レ(王)通り])へhotel馬車で行く。Hotelはやはり田舎宿と云たところだ。街には美くしい女を沢山見る。晝食後、近くのAccademia di Belle Arti[*1]へ行く。ローマやNapoliでGreek、Roman[*「ギリシャ、ローマ芸術」の意]に感心した自分は基督教美術にはさのみ惹かれなくなった。あのうす暗い画面には少々飽きが来ざるを得ない。しかしすこし凝視してゐると、やはり相当よいprimitiveの作品が見られる。そうして画面は小さくとも、ミケランゼロのLast Judgement[*《最後の審判》]よりも内容の大きな画は沢山見られる。
Duccio di Buoninsegna[*ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ]
1260-1339[*正確には「1255~1260年頃-1319年頃」とされている]
Simone Martini[*シモーネ・マルティーニ]
1283-1344[*生年は「1284年頃」とされている]
Pietro Lorenzetti[*ピエトロ・ロレンツェッティ]
1285-1353[*「1280~90年頃-1348年」とされている]
Giovanni di Paolo[*ジョヴァンニ・ディ・パオロ]
このPaoloの小さい画だが聖母でbackが風景で一枚好きなのがあった。
Sano di Pietro[*サーノ・ディ・ピエトロ]
Matteo di Giovanni[*マッテオ・ディ・ジョヴァンニ] 聖母
Taddeo Bartoli[*タッデオ・バルトリ] 13世紀頃[*正しくは14~15世紀]
Girolamo di Benvenuto[*ジローラモ・ディ・ベンヴェヌート]
Neroccio di Bartolomeo[*ネロッチョ・ディ・バルトロメオ]
こんな人々のものは中々primitiveで見入るべき作品がある。Sodomaなどは大層に云ふ程深い芸術家ではない。
Francesco di Giorgio[*フランチェスコ・ディ・ジョルジョ]
雨がよく降るので馬車でPalazzo Pubblico[*プッブリコ宮]へ行く。
二時から開くので先きにDuomo[*ドゥオーモ]へ行く。DuomoはOrvieto[オルヴィエト]のそれに似た白黒のだんだらの横線を持ってゐる。内部も悪くない。相当古風だ。下にはpavement[*床面舗装]がまあ立派とも云へやう。Libreria[*図書館]への戸が左側にある。Pinturicchio[*ピントゥリッキオ]と弟子とのfrescoesがある。何もよくない。唯、Greek彫刻だと思はれるGroup of the Graces[*2]の大理石像はよい。
Duomoの東南にOpera del Duomo(Museo del Duomo)[*ドゥオーモ美術館]がある。Duccio di Buoninsegnaの画が沢山ある。中々よい。聖者を持つ聖母大作[*《マエスタ(荘厳の聖母)》]など荘厳で、廿五菩薩来迎図を思ひ出す。基督伝の小作もよい。
[*欄外に「Maestro Gregorio 聖母像」の書き込みあり。グレゴリオ・ディ・チェッコの作品のことか]
風変り[*要に向かって傾斜がある扇形をしている]Piazza del Campo Vittorio Emanuele[*3]の南側にPalazzo Pubblicoがある。古い建築(1289-1305[*4]、Gothic)で、中は十四世紀のSiena派をうかがうに足る立派なfrescoesが沢山残てゐる。何と云ってもfrescoはよい古色の味を持ってゐる。
Simone Martiniの聖母大作[*《マエスタ》]は荘厳である。
Ambrogio Lorenzetti[*アンブロージョ・ロレンツェッティ]、その他deuxième étage[*2階]への階段に一つ、deuxième étageにも一つ、美くしいfrescoの聖母が古色をつけてのこってゐる。写真屋などへよって日が暮れる。晩ごはんはhotelのristorante[*レストラン]で注文するとうまくないものが出て来たのには閉口。
【註】
*1 美術学校。シエナ派の画家たちの作品を多く所蔵していた。作品は今ではシエナ国立絵画館に移されている。
*2 三美神。今では、紀元前4~2世紀のギリシャ彫刻を基とした古代ローマ期の複製であることが分かっている。
*3 カンポ広場。孝吉が訪ねた時にはイタリアは王政で、王の名にちなみ「ヴィットーリオ・エマヌエーレ広場」と改称されていた。
*4 今では1297年着工とされている。

シエナの街並み(孝吉がイタリアで買った絵はがきより)。中央に大きく写っているサン・ドメニコ聖堂を挟んで、右奥にドゥオーモ、左奥にカンポ広場に立つプッブリコ宮のマンジャの塔が見える。モノクロ写真では色が分からないが、煉瓦色の美しい街並みで知られる。