~孝吉の日記~
金。雨。朝、曇てゐたが、Tivoli[*ティヴォリ]へ出懸る。Porta S.Lorenzo[*サン・ロレンツォ門=ティブルティーナ門]から軽便鉄道(tram)で行く。
Campagna romana[*ローマ周辺の平野、カンパーニャ・ロマーナ]の田舎の村落のどかなり。
Villa Adriana[*ヴィッラ・アドリアーナ。ハドリアヌスの別荘]
Villa Adrianaで下りる。二三町[*1町は約109メートル]も行くとサイプラス[*糸杉]の並木道からすぐruins[*遺跡]の入口である。Teatro Greco[*ギリシャ劇場]、Poikile[*1]、Sala dei Filosofi[*哲学者のホール]、Natatorium[*海の劇場]、Cortile delle Biblioteche[*図書館の中庭]、Ospedale[*2]、Triclinio verso Tempe[*3]、Peristilio dorico[ドーリア式の柱廊]、Oecus Corinthius、Basilica、Piazza d’Oro[*黄金の広場]、Quartiere dei Vigili[*「消防署」と名付けられた建物]、Criptoportico[*地下回廊]、Stadio、Aedicula、Terme piccole[*小浴場]、Praetorium[*プラエトリウム]、Terme grandi[*大浴場]、Canopus[*4]、など随分壮大なruinsだ。
羅馬のHadrian[*ハドリアヌス]帝のpalazzo[*5]だったその跡で、今は美しい丘陵のオリブ[*オリーヴ]とサイプラスの立木の中に荒寥として横はる。円柱、厚い壁の破れ、あちこちにすてられたmarble[*大理石]のcapital[*柱頭]やbase[*基礎]などにから草の模様の破片が見えて、それだけでも美くしい。羊の群がゆるやかに遊ぶ。近くの山の上にTivoliの町が見渡されtristの[*うら寂しい?]風が吹いて感をそへる。雨がしぐれ出す。
Tivoli
停車場へ引きかへしてTivoliへ乗る。汽車は白緑ぐずみ[*黒みがかった淡い緑]のやうな葉のこもりのオリブの畑の中を上って行く。Villa d’Este[*ヴィッラ・デステ。エステ家の別荘]の庭は美くし。階段をいくつも下りて行くと、あちらからもこちらからも水が流れ出て樹陰をしめらす。欄と噴水、苔さびて古色美くし。樹陰のbasin[*池]を二枚写生する。
雨が降り出す。川へ面して立つTempio della Sibilla[*6]を見る。円形に18のcorinthian[*コリント式の]柱が立ってゐたのだが、今は七八本[*正しくは「十本」]しかない。そのとなりにTempio di Tiburto[*7]のruinがある。周囲の家がよくないし、風景もTempleをよく見せない。あまりよい村ではない。そこそこで馬車に乗て引きかへす。帰たのは七時。
【註】
*1 ポイキレ。ギリシャ・アテネの彩色柱廊「ストア・ポイキレ」を模した庭園で、池の周りに柱廊を巡らせた。
*2 オスペダレ。客間だったとみられている。
*3 テンペに面したトリクリニウム。テンペはギリシャの地名にちなむ。
*4 カノプス。エジプトの運河の街カノプスをイメージして建設されている。
*5 孝吉は「palazzo(宮殿)」と書くが、遺跡全体では名の通り「villa(別荘)」。
*6 シビュラ神殿。孝吉が使ったベデカーのガイドブックでも「so-calledTemple of the Sibyl」と表記しているが、現在では「ウェスタ神殿」と呼ばれる。
*7 ティブルトゥス神殿。ベデカーのガイドブックでは「so-called Temple of Tiburtus」とするが、現在はこちらを「シビュラ神殿」と呼んでいる。

ヴィッラ・アドリアーナのギリシャ劇場。ローマ皇帝ハドリアヌスは120ヘクタールの広大な敷地に古代ギリシャ、エジプト、ローマの建築の伝統を取り入れた理想の都市を築いた。(孝吉が現地で買った絵はがきより)

アテネの庭園を模したポイキレ。池の周りに柱廊を巡らせた。奥へのびるのが庭園の壁。(同)

円形の池の中に建物がある海の劇場。仮設の橋を外すと孤島になり、他人に邪魔されない時を過ごせた。ハドリアヌス帝のお気に入りの場所だったという。今は水をたたえた形に戻している。(同)
=撮影・孝吉-1024x741.jpg)
ヴィッラ・アドリアーナの遺跡の中を駆け抜けていく羊の群れ(1925年2~3月)=撮影・孝吉

ヴィッラ・デステにある竜の噴水。高々と噴き上げる。(孝吉が現地で購入した絵はがきより)

ヴィッラ・デステの池(1925年2月27日)=撮影・孝吉

ヴィッラ・デステのテラスからの眺望(同)

ウェスタ神殿(同)