~孝吉の日記~
朝から名高いAntonio[*1]が訪ねて来る。しかし今度は頼まずに勝手にPompeiiへ行く事にする。勿論その方が安いからだ。軽便電車の停車場からPepeといふフランス語をよく話すguideをつれて行く。切符から総ての事をやってくれる。楽だ。
ベスビオには雨あがりの雲がかゝって頂上は見へない。洋画の材料によい風景だ。南国気分の畑、洋館、梅花、重く実ったオレンジの木、青い海、Sorrento[*ソレント]岬からはるかに見えるCapri[*カプリ]島。又、こちらにはPozzuoli[*ポッツオーリ]の岬もよい力のあるoutline[*輪郭]を見せる。
日本なら伊豆のやうな所だ。美くし。
Pompeii
Pompei Scavi[*ポンペイ・スカヴィ駅]下車。停車場のristorante[*レストラン]で晝食。辻音楽師のマンドリンとギタの合奏がうまい。Porta di Nola[*ノーラ門]からruin[*遺跡]に入る。家々は中には美くしいfrescoesやdecorationで装られてゐる。男女の像、神話、魚、獣、風景、樹林。すべて、むっくりとした南国の色彩で古色が何ともいへない。庭や泉や階段、バルコン[*バルコニー]、噴水盤、浴場、temple[*神殿]の列柱、などGreeceとRomanの入り合た美くしさを発輝する。
Casa di Lucrezio Frontone[*ルクレツィオ・フロントーネの家] 壁画
Casa del Centenario[*百年祭の家] 〃
Casa dei Vetti [*ヴェッティの家] 〃
Casa degli Amorini Dorati[*黄金のキューピッドの家] 〃
Tempio di Apollo[*アポロ神殿] 列柱
Basilica[*バジリカ] 〃
Tempio di Giove[*ジュピターの神殿] 〃
Foro triangolare[*三角広場] 〃
Quartiere de Gladiatore[*剣闘士の兵舎] 〃
Teatro [*劇場]
Teatro Coperto[*屋内劇場=小劇場]
Anfiteatro[*円形劇場]
Porta Marina[*マリーナ門]に発掘のmusée[*博物館]がある。
昔の沢山の女郎屋跡の寝室には春画が沢山描いてある。随分呑気なものだ。
guideが中々親切にやってくれて都合よく見る事が出来た。閉された部屋の端までも見られたのはよかった。暮、帰る。一人guide料1.65Lira(tout compri[*全て込み])は安い。
食後、hotelの前を散策。夜のNapoli。うちよせる波。Pozzuoliの岬に燈火点々。ベスビオの麓の明りははるかなり。美くし。海岸に大きなhotelが建ちならぶ。遊び旅行に好適。
【註】
*1 画家の黒田重太郎が文を担当した『欧州芸術巡礼紀行』(大阪時事新報社編、十字館、1923年)によると、ナポリで出会った1922年には「日本人定雇」のガイドだった。英語、フランス語、ドイツ語に堪能な上、正直で、日本贔屓(びいき)だったので、日本人旅行者に評判が高かった。評判のゆえに「アントニオ」をかたって客を引くガイドがナポリに約200人もでき、疑われると「アントニオの兄」「従兄」などとつじつま合わせを図る、と黒田に話している。黒田と同行の画家仲間、土田麦僊、小野竹喬らがポンペイ見学で世話になるなど、大勢の日本人が頼った。

フォルトゥーナ通り(いずれも孝吉がイタリアから持ち帰ったポンペイ遺跡の絵はがき)

アポロ神殿

三角広場

スタビアーネ浴場