1925・2・10 イタリア・ヴェネツィア

~孝吉の日記~

火曜。曇。朝、九時四十分Milano発にて立つ。平原を西へと走る。単調だが趣のある風景が迎えて去る。遠いéglise[*教会]の鐘楼と立杉[*糸杉]、畑、田舎家、耕す人、羊、葉の落ちたみき、朝霧に霞む。
Venezia
VeronaVicenza[*ヴィチェンツァ]Padovaを過ぎてVeneziaに午後三時着。途中はのどかな村だ。
Veneziaはお上りの行くところ、きたない所といふ人があるが、そのきたない所に自分は永い歴史と美くしさを見る。停車場からgondolaに乗てユラユラとゆられ両岸のCasa何々[*何々の家]、Palazzo何々[*何々宮・邸館]と趣のある、大きくはないが昔のromanceを語る家を見てPonte di Rialto[*リアルト橋]ぎはのCasa Petrarca[*1]といふpensionへ泊る。勿論、高くないといふ事を聞いて来たからだ。通された部屋は明るく川付きの気持のよい間だ。早速水彩一枚をスケッチする。
窓の下にはgondolaが行きかへり、岸には人が右往左往する。夕暮、二人でPonte di Rialto附近散策する。趣のある町で好きだ。漁師町のやうなあまりがらのよくない男があちにもこちにもゐる。
帰る頃、暮れ果て燈火窓にもれて船歌を聞く。
なんともいへないよい気分にひたる。
宿へ帰て皆他の客と一所に晩餐。英国のold miss四人と同tableになる。窮屈で閉口。その上、料理がうまくなく少いのでなる程これでは安いだろうと思った。夜、手紙を書く。

【註】
*1 カーサ・ペトラルカ。リアルト橋近くにあり、ヴェネツィア中心部を逆S字形に蛇行する大運河(カナル・グランデ)に面していた。


孝吉がイタリアで買ったリアルト橋の絵はがき

細い運河が家々の間を縫い、ゴンドラが行くヴェネツィアの街並み(1925年2月か4月)=撮影・孝吉

                            大運河の絵はがき

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