1925・2・9 イタリア・ミラノ

~孝吉の日記~

月曜。快晴。朝から早速Santa Maria delle Grazie[*サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会]へtaxiで行く。Da VinciのLast Supper[*《最後の晩餐》]、それを古びた一面の壁に奥深く見た最初の印象は忘れる事の出来ない喜びだった。
多年の憧が今、目の前にあるのだ。破そんされたと人は云ふがやはり美くしくてDa Vinciの人格に接する事が出来る。何といふ美くしい色調か。落ついた静かさ奥深さか。もうこれ以上を書かない。
横に美くしいfrescoesを以て装飾されたcloister[*1]がある。あの古雅な美くしさは奈良天平の古寺にも見るもの。その中に美くしいよいが沢山破へんとなって残されている。
Biblioteca Ambrosiana [*2]へ行く。ダビンチ、ドューラー、ラファエルなどのdessin[*素描]が沢山ある。レンブラントのetching[*エッチング]もある。ボチシェリー[*ボッティチェリ]、チヽアン[ティツィアーノ]、フェラリ、などの油画がある。ラファエルのAthen学派[*《アテネの学堂》]の大きい下画もある。
それからDuomo[*ドゥオーモ]に入る。外から思てゐた程大きくもなかったが、中へ入ると随分大きい。ステンドグラスも美くしい。それからPinacoteca di Brera[*ブレラ美術館]へ行く。こゝにはよい画が沢山あるのだが、あいにく修繕中で四月まで閉められてゐるのは残念だ。
し方なしMuseo Poldi-Pezzoli[*ポルディ・ペッツォーリ美術館]へ行く。こゝにも十程はよい画がある。フランセスカ[*ピエロ・デッラ・フランチェスカ]、Luini[*ベルナルディーノ・ルイーニ]、Botticelli、カルパチオ[*ヴィットーレ・カルパッチョ]などのよい画が見られる。Castello Sforzesco[*スフォルツェスコ城]Museo Archeologico[*考古学博物館]へ行ったが、月曜で閉てゐる。又Sant’Ambrogio[*サンタンブロージョ教会]へ行って水彩を一枚かく。あの美くしさが中々出ない。夜はスカラ座のoperaでも見やうかと思たが、これも月曜は閉てゐる。

【註】
*1 回廊。孝吉が見たものは第2次世界大戦中の1943年、連合軍の激しいミラノ空襲で破壊された。戦後に再建されている。
*2 アンブロジアーナ図書館。絵画館を併設している。


サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院食堂にある《最後の晩餐》の、この日の観覧券。

《最後の晩餐》は壁画に広く用いられたフレスコではなくテンペラで描かれたため鮮やかだが、かびや剝落を招いた。19世紀の洪水で水没、ナポレオンが食堂を馬小屋として使うなどしたためさらに傷みが進み、修復を重ねてきた。孝吉が見たのは、3年早く訪ねた黒田重太郎が「全く目も当てられない位損じてゐる」(大阪時事新報社編『欧州芸術巡礼紀行』十字館、1923年)とした痛々しい姿だった。

その後、名作は第2次世界大戦という試練をくぐる空襲で修道院食堂も屋根を損傷。壁画の前に足場を組んで土嚢どのうを積み上げていたため守られたものの、屋根再建まで3年間、野ざらしだった。

後世の加筆部分を取り除く、1977~99年の徹底した修復を経て今の姿がある。

アンブロジアーナ絵画館の入場券の半券とみられる(右は裏)。孝吉は2枚持ち帰っている。孝吉が深い関心を寄せていたルイーニの異なる作品の写真があしらわれていたため、一緒に訪ねた岩田豊雄の分までもらって持ち帰ったのかもしれない。


孝吉が渡航時に買ったミラノ・スカラ座の絵はがき。この日はあいにく休演日だった。ブレラ美術館を見たくて翌1926年にもミラノに立ち寄ったが、その際にも足を運んでいない。訪ねる機会がなかったゆえに買った絵はがきだったらしい。

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