1925・2・7~8 パリ―車窓のスイス―イタリア・ミラノ

2・7

~孝吉の日記~

伊太利行
種々旅行の準備をする。夜九時二十分、expressでGare de Lyon[*パリにあるリヨン駅]出発。同行、岩田豊雄氏。
川島さん[*川島理一郎]、柏村さん[*柏村次郎]が送て下さった。
Dijon[*ディジョン]を過ぎてSwissの国境にかゝると地には薄雪が積ている。

2・8

~孝吉の日記~

passportをしらべ、荷物は見ずにすむ。
だんだん汽車は下りてLausanne[*ローザンヌ]を過ぎる。南にLéman湖が見え、その岸を走る。青くすき透た水面にはさゞなみがうちよせる。向側には大きな岸山が雲を白く頂いてそびえる。アルプスの一端で、あちらにもこちらにも山岳が勇壮な姿を見せる。所々chateau[*城]がある。子供の時から憧れてゐた美くしい風景を目の当たり見て喜ぶ。LausanneからMartigny[*マルティニー]Sion[*シオン]Brig[*ブリーク]駅のあたり、両側には引きりなしに大きな山塊が雪にかゞやいてそびえる。痛快。こんな処で写生がしたいものと思ふ。が、時がないので残念。
Simplon[*シンプロン]のトンネル[*当時、世界最長の鉄道トンネルだった]は廿分間を要した。その途中から伊太利国境で又passportと荷物の検査をしに来る。隣の伊太利人は何か税を取られたが吾々二人のは荷物も見ずにすましてくれる。旅行者優遇だらうと思ふ。Lago Maggiore[*マッジョーレ湖]のやうな美くしい西岸を走る。美くしい。一点の雲もない快晴だ。
Milan
午後三時、Milanへ着。あまり安い旅館も知らないので、相当よいDuomo[*ドゥオーモ]前のHôtel Métropoleに泊る。
それより外出。Sant’Ambrogio[*サンタンブロージョ教会]へ行く。
伊太利へ来て初めて基督教のéglise[*教会]の美くしさを見た。朱のさびたやうなれんが。その前のatrium[*アトリウム]にも古い石が壁に入れてある。古色が美くしい。
寺の中も簡朴として明るく建築美を発輝する。
frescoes[*フレスコ画]の中でGaudenzio Ferrari[*ガウデンツィオ・フェラーリ]、Bergognone[*Ambrogio Bergognone。アンブロージョ・ベルゴニョーネ]のものが落着いた古いトーンを表はす。寺を出る頃、塔から鐘がなり、égliseは夕日を受けて朱色に美くしくそびえる。Last Supper[*レオナルド・ダ・ヴィンチ作《最後の晩餐》]のあるSanta Mariaのお寺[*サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会]へ行ったが、もうしまってゐる。お堂の中には何も見るものがない。

孝吉が欧州から持ち帰ったミラノのドゥオーモの絵はがき。馬車が走っている。堂内には9日に入った。

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