2025年– date –
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1925・3・24 イタリア・ナポリ-フィレンツェ
~孝吉の日記~曇。九時の列車でNapoliを立て又Firenzeへ来た[*1]。FirenzeToscana[*トスカーナ]の景色はよい。夜八時着。又Berchielli[*2]に宿す。 【註】*1 岩田豊雄と訪ねた2月12~17日に続いて2度目の訪問だった。*2 前回も滞在したアルノ川沿いのホテル・ベルキエリ。 -
1925・3・23 イタリア・ナポリ
~孝吉の日記~晴。海岸の公園をスケッチする。 -
1925・3・22 イタリア・パエストゥム
~孝吉の日記~Pesto[*ペスト。Paestum(パエストゥム)]行日曜。曇。小雨。朝晴れてゐたので、ねむいが六時から起きて七時廿五分の汽車でPestoへ出かける。Vesuvio[*ヴェスヴィオ山]の麓、Napoli湾の海岸を走る。Salerno[*サレルノ]附近、Vietri[*ヴィエトリ]の駅から断崖の上に白い洋館の街が輝く。PestoBattipaglia[*バッティパーリア]通過。それから四つ目の駅がPestoである。駅から城壁を入って三四町[*1町は約109メートル]歩くと海をバックにして草青い平原の中に金色のGreek Temple[... -
1925・3・21 イタリア・ナポリ
~孝吉の日記~土。六時に起きてPesto[*ペスト。Paestum(パエストゥム)]へ行かうと思たが、雨が少し降てゐたのでよす。午前、窓から洋館風景をスケッチする。午後、三人[*川島理一郎・エイ夫妻と孝吉]で山の見晴にやる。マカロニや菓子がうまい。 この日午後の孝吉のスケッチ(紙、水彩、35センチ×49センチ、個人蔵) ■火山とともにある街、海とともにある街 画家2人が一緒に絵を描きに出た際、描く対象はどう違うのだろうか。同じ構図は避けようとするものだろうか。 3月19日にナポリの街を見下ろ... -
1925・3・20 イタリア・ポンペイ
~孝吉の日記~Pompeii金。快晴。川島さん夫妻とPompeiiへ弁当持ちで出かける。雲さへない美くしい青空にVesuvio[*ヴェスヴィオ山]の噴煙がゆるやかに棚びく。汽車は特別列車だ。気候暖和。桃とオレンヂが美くしい。Pompeiiへ前にも来たから略す[*1]。 【註】*1 2月18日に岩田豊雄(獅子文六)とポンペイを訪ねており、2度目だった。 市民生活の中心地だったポンペイの「フォルム」。背後にヴェスビオ山が見える。(孝吉がイタリアで入手した絵はがきより) 円形闘技場。紀元前1世紀にできたポンペ... -
1925・3・19 イタリア・ナポリ
~孝吉の日記~木。晴。Santa Chiara[*サンタ・キアラ教会]へ行く。Giottoのフレスコがあると聞いたが見当らない。小さい聖母像が壁に残ってゐるのがそれか。[*1]Museo Nazionale[*国立博物館。現在のナポリ国立考古学博物館]へ行く。希臘てねむくて閉口した。 【註】*1 ジオットは工房の助手とともに14世紀建築のサンタ・キアラ教会のフレスコ画を手掛けたとされる。しかし、教会は15世紀に地震で被災。17世紀にはゴシック様式からバロック様式に大規模改修された。さらに第2次世界大戦中の... -
1925・3・18 イタリア・ポッツオーリ
~孝吉の日記~Pozzuoli行水。曇。弁当を持って一人でPozzuoli[*ポッツオーリ]へ出かける。海岸公園Piazza Vittoria[*ヴィットーリア広場]からtram[トラム。路面電車] No.52に乗て行く。途中、思てゐたやうに風景が面白くない。Pozzuoliの町は山に建てられて赤い壁の洋館が面白い[*1]。電車をPozzuoliで下りて歩き出したが、少々路が出てゐる。guideが来てうるさいし、入場料十リラもとられて馬鹿らしい。 【註】*1 現地の美術を学び、吸収しようと寸暇を惜しんで見て回る孝吉は「Pozzuoliの町は山... -
1925・3・17 イタリア・ローマ-ナポリ
~孝吉の日記~火。快晴。親しみの出来た羅馬を去る。九時の汽車でNapoliに向ふ。晴れ渡た空に桃の花が咲いてCampagna romana[*ローマ周辺の平野、カンパーニャ・ロマーナ]はのどかだ。長くつづいたRoman Aqueduct[*ローマの水道橋]、そのすぐ傍を走て行く。Arban Mountains[*アルバーノ山地]には白雪が頂に輝く。Napoli近くなって、油絵によささうな村と山の姿が美くしい。Napoli三時前、Napoli着。烈風が吹く。今度はContinental[*2月に岩田豊雄とナポリを訪ねた際に宿泊した海辺のホテル]をよして... -
1925・3・16 ローマ
~孝吉の日記~月。晴。午前、Museo Laterano [*ラテラノ美術館]へ行ってTerme Caracalla[*カラカラ浴場]からもってきたmosaicoを少しcopyした。中々よいのに感心。午後、Cook[*旅行会社、トーマス・クック]へ行て切符を買ふ。その他少し買物に歩く。明日は羅馬を立つ。来てから早廿五日間にもなる[*1]。親しいhotelなので、立つのに名残りが惜まれる。食堂のgarçon[*ギャルソン。ウェイター]の母がなくなった。きのどくで同情がよる。夕方、antichita(骨とう屋)へ行ってみる。コリンス[ギリシ... -
1925・3・15 ローマ
~孝吉の日記~日。晴。朝、Museo Laterano[*ラテラノ美術館]へ行たが閉ってゐる。近くのS.Croceの寺[*サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂]へ入ってみたが、何もよいものがない。それからSan Lorenzo[*サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂]へ行く。facade[*建物前面の外観]が一寸面白く、frescosの残りがよい色のニュアンスを見せる。そう古いものではないが、portico[*柱廊玄関]にもfrescoがある。中は新らしく建てられてよくない。廿二本のantique columns[*古代の柱]が...