2025年– date –
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1925・4・3 イタリア・パドヴァ
~孝吉の日記~金。早朝、Padovaへ出懸ける。九時廿分が壁を充たす。やはり偉大なる画家である。構図もよいものが多い。けれど希臘の芸術を見るよう―にはぴったりと自分を引き付け合一せない。理論からではなくて自分の持ちまえなんだ。唯の自然からの感情から来る事実に過ぎない。古のArena[*2]は公園になってゐる。次ぎにEremitani[*エレミターニ教会]を見る。十五世紀のfrescoesがある。南側のChapel of Santi Jacopo e Cristoforo[*3]にMantegna[*マンテーニャ]のfrescoesが十二面程ある。あま... -
1925・4・2 イタリア・ヴェネツィア
~孝吉の日記~木。快晴。終日稀なよい天気で雲さへない。春の陽気で和風べると典型におちて少し硬い。前のpiazza[*広場]は又、観光客で賑はう。巡行船でお向ひのSan Giorgio Maggiore[*サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂]へ入る。川島さんは外で油[*油彩画]を始める。Tintorettoの画が四五面ある。中で向て右方の奥のchapelにある埋葬図と右側にある磔刑(Martirio di vari santi)[*《聖コスマと聖ダミアノの殉教》]とLast Supperなどは感心した。汽船でSan Marcoの方へ帰てSan Giovanni in Brago... -
1925・4・1 イタリア・ボローニャ-ヴェネツィア
~孝吉の日記~水。快晴。Santo Stefano [*サント・ステファノ教会群]へ行く。途中、高いTorre Garisenda[*ボローニャの斜塔2つのうちの「ガリセンダの塔」]の前を通る。寺は八つのégliseのgroup[*1]で古く、四世紀から興された。主なるものは十二世紀[*2]、その北に第二のchurch、これは八角のbattistero[*正確には、元は「洗礼堂」だったとされる]で十世紀[*3]である。赤れんがの外面も中々古い。中にはantique columnsがある。(Atrio di Pilato[*ピラトの中庭])その裏の第三寺はRom... -
1925・3・31 イタリア・フィレンツェ-ボローニャ
~孝吉の日記~火。快晴。早朝、柏村[*柏村次郎]をお隣のHotel Grande Bretagneに訪ねる。後、午前十時発、Firenzeを立つ。Pistoia[*ピストイア]あたりからBologna[*ボローニャ]迠など。大したものでない。夕暮、町を歩いてhotelの向ひのbarbiere[*床屋]へ行く。夜、散歩する。店は皆閉められて、caffè[*喫茶店]ばかりが開いてゐる。夜明の町を男女が歩いてゐるやうで面白くない。 ボローニャにあるサンティ・バルトロメオ教会の柱廊(孝吉がイタリアで買った絵はがきより)。ボローニャの街は歩道... -
1925・3・30 イタリア・フィレンツェ
~孝吉の日記~月。快晴。朝、S.M.Novella[*サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂]のold cloisters[*古い回廊(緑の回廊)]へ行く。十四五世紀のfrescoesもcloistersもよい。川島さん二人は朝、Veneziaへ立たれる。自分はまだ一寸見たいものがあるので、一日おくれて立つ。ボロニヤにも立寄る為に。午前、Museo Archeologico[*1]へ行く。Etruria、Egyptのものがたまらなくよい。そうして一つも悪いものを見ないのは不思議だ。皆、最上の芸術だ。あれにはrealism[*写実主義]もdecorative[*装飾的な。「装... -
1925・3・29 イタリア・ピサ
~孝吉の日記~日。快晴。雨、後又晴。Pisa行快行て弁当を食ふ。まだ雨が止まず、益々どしゃ降りとなる。とう惑。やっと晴れかけたのでBattisteroを水彩でかき出すと又雨で逃げ込む。斜塔へも登てみた。雨が晴れたのでやっとBattisteroと斜塔を描く。川島さんも二枚油をやる。これで思ひもかなったので引き上げる。美くしいDuomo、Campanile、Battisteroが別れを惜しむやうだ。何となしに人の心を引くよい建築である。Firenzeへ帰たのは夜八時半。この日、奥さんはBattisteroの階段で手紙など書いてお待ちだ。 【... -
1925・3・28 イタリア・フィレンツェ
~孝吉の日記~土。雨、晴。午前、Archaeological Museum[*国立考古学博物館]へ行く。古代のもののよいのにはいつも感心する。あの古色の美くしさは心を痛める位だ。中庭にVolterra[*ヴォルテッラ。エトルリアの主要都市だった](Siena附近)やVolsinii[*ヴォルシニ。エトルリアの町]などから持て来たtomb[*墓]がある。それからcineraria[*骨壺]などが沢山置いてある。その中にも中々よいものがあるのに驚く。午後、川島さんと一所にPitti Gallery[*パラティーナ美術館]へ行く。二度目である。... -
1925・3・27 イタリア・シエナ
~孝吉の日記~金。雨、晴。朝まだ雨が降てゐた。後、止んだのでSant’Agostino[*サンタゴスティーノ教会]へ行く。雨あがりで、しめっぽい雲が切れておしやられて飛んで行く。丘上の街にéglise[*教会]、深い色をして壮大。Sant‘Agostinoの裏側がbrick[*煉瓦]で崖に突立によい所が多い。夜八時の汽車で立つ。うつうつ寝てゐるとFirenze十一時着。前のハイカラ美人に起されてびっくりして下りる。 【註】*1 経済学者で聖職者でもあったサルスティオ・バンディーニのことか。像がサリンベーニ広場にある。... -
1926・3・26 イタリア・シエナ
~孝吉の日記~木。曇、後、雨。午前八時四十五分、Firenze発。一人でSiena[*シエナ]へ出かける。Toscana[*トスカーナ]の平原はのどかだ。白樺のやうなやさしい枝をした立木が野川に姿をうつす。なだらかな傾斜を持った丘陵は上の方まで耕されて畑となっている。田舎家や村里、教会が丘上に点在する。SienaがDuccio[*ドゥッチョ]やSodoma[*ソドマ]を生んだのも自然だとも思はれる。あのprimitive[*プロト・ルネサンス]の宗教画の背景も自然のうちに見られる。SienaEmpoli[*エンポリ]を経て十一... -
1925・3・25 イタリア・フィレンツェ
~孝吉の日記~水。曇。朝からSan Marco[*1]へ行く。Fra Angelicoの絵もGreeceやPompeiiの純真な、よりprimitive[*プリミティヴ、根源的]なものを見て来た後の目には、前来た時のやうには感じなくなった。基督教美術としてはprimitiveであり、又、最も美らつとした女性とするならば、Angelicoのは僧院にしりぞいた処女のやうだ。彼は陽で、これは陰である。彼は動で、これは静である。基督教思想の静寂もよいが、Pompeiiの人間性の自然に流れ出た発動がよりよく自分の心を引きつける。基督教の精神を以て見...