2025年3月– date –
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1925・3・11 イタリア オスティア・アンティーカ
~孝吉の日記~快晴。水曜。川島さん[*川島理一郎]と二人でPorta San Paolo[*ポルタ・サン・パオロ駅]から汽車でTiber[*イタリア語なら「Tevere」(テヴェレ)]川口の古都Ostia[*オスティア]の発掘[*現場]へ出懸ける。OstiaPompeiiによく似たRoman town[*古代ローマのまち]である。Castello[*ユリウス2世の城]は発掘品の小さいmuseo[*博物館]となってゐる。torso[*頭部ほかが失われた彫像]などに五六よいものを見受ける。scavi[*発掘された区域]はPompeiiを三分の一二にした位のも... -
1925・3・10 ローマ
~孝吉の日記~火。快晴。朝から写真など撮りに歩く。Ponte Fabricio[*ファブリキウス橋]は古色のある橋だ。Theatre Marcellus[*マルケルス劇場]のruins[*遺跡]も見た。中々かっちりとしたものだった事を想像する。Cloaca Maxima[*クロアカ・マキシマ]は古い下水跡だ。 テヴェレ川に架かるアエミリウス橋=手前左=とファブリキウス橋=右奥。中央は中州のティベリーナ島(孝吉がイタリアで買った絵はがきより) 孝吉がおそらくこの日に撮影したアエミリウス橋。紀元前2世紀に建設され、一部しか残っ... -
1925・3・9 ローマ
~孝吉の日記~月。雨。曇。昨夜、川島さん夫妻がおそく羅馬に着かれて隣のホテルに泊まられたさうで、久しぶりで一所に出懸ける。Palazzo Barberini [*バルベリーニ宮]のgallery[*美術館]を見る。油絵だが大したものがない。午後、御夫婦一所にSan Pietro[*サン・ピエトロ大聖堂]とForum Romanum[*フォルム・ロマヌム。イタリア語では「Foro Romano(フォロ・ロマーノ)」]、Palatinus[*パラティヌス。イタリア語では「Palatino(パラティーノ)」]を散歩する。 サン・ピエトロ大聖堂。広場を堂々... -
1925・3・8 ローマ
~孝吉の日記~日。曇。雨。今日も亦、古典の巡礼をやる。Santa Pudenziana[*サンタ・プデンツィアーナ聖堂]。St. Peter[*聖ペテロ]が住んだと云はれ[*伝説で、ペテロが泊まった屋敷跡に建てられたとされる]、羅馬で最も古いと書いてあるが、後世の再築で古の面影はない。tribune[*後陣]に390A.D.のmosaicがある。又、古いmarble columns[*大理石の柱]も見受ける。けれど大した事なし。最大の寺、四世紀以来の寺だが、今のは近代化してよくない。facade[*ファサード。建物前面の外観]は大き... -
1925・3・7 ローマ
~孝吉の日記~土。晴。Quirinale丘[*クイリナーレの丘]の上へ上ってみる。Palazzo Reale[*王宮]がある。Piazza del Quirinale[*クイリナーレ広場]にもobelisc[*オベリスク]と噴水がある。Palazzo Rospigliosi[*ロスピリオージ宮]のgallery[*美術館]を見に行たが、次の水曜でないと開かないと云ふ。Piazza Colonna[*コロンナ広場]のBanca Credito Italiano[*銀行のクレディト・イタリアーノ]で金を出す。Pantheon[*パンテオン]近くのSanta Maria sopra Minerva[*サンタ・マリア・ソ... -
1925・3・6 ローマ
~孝吉の日記~金。快晴。春らしい気候になって、沢山の人出だ。美くしい女も多く見受ける。男も新調の春着でしゃんとしてゐる。Collection Barracco[*バラッコ古代彫刻美術館をなすコレクション]を見る。こゝは二室しかないが、陳列品の内容が立派だ。Egypt、Assyria、Greece、Romeと立派なものが多い。随分よいものを受ける。頭、torso[*トルソ。胴体部の彫刻]、reliefs[*浮彫]など二百点位はあるだらう。これが美でなければ世界に美は存在しないだらう。古のCirco Agonale[*アゴナーレ競技場]、今... -
1925・3・5 ローマ
~孝吉の日記~Roma木。晴。Galleria Doria[*ドーリア・パンフィーリ美術館]、Museo Barracco[*バラッコ古代彫刻美術館]へ行ったが二つとも火金だけ開けるので駄目。Galleria Colonna[*コロンナ美術館]へ行く。Palazzo Colonna[*コロンナ宮]の二階にあるpinacoteca[*絵画館]だ。チヽアン[*ティツィアーノ]、パルマベキョ[*パルマ・イル・ヴェッキオ]、チントレットの二三枚はあるが、其他はつまらないものが多くて、これという程のgalleriaではない。午後、Museo Nazionale[*ローマ国立博... -
1925・3・4 イタリア・オルヴィエート-ローマ
~孝吉の日記~雨。水。Orvieto[*オルヴィエート]の街は古くて簡素だ。感じのよい所だ。Duomo[*ドゥオーモ]は相当立派だ。内部もあまり飾り気がなくて、まあよい方だ。Signorelli[*ルカ・シニョレッリ]の壁画、あまり感心しない。家並の間から遠い丘や畑が見えて雲が上り下りする。又雲がおりて来て、高山へでも登ったやうだ。雨がしとしとと降り出す。Duomoの前の写真屋でEtrusco[*「エトルリアのもの」の意で使っている]の複製を買ふ。そこでMuseo[*博物館]の切符も売てゐる。自分一人の為に気の... -
1925・3・3 イタリア・ペルージャ-オルヴィエート
~孝吉の日記~火。雨。又、運が悪く雨だ。馬車でUniversita Museo Etrusco e Romano[*大学にあるエトルリアと古代ローマの博物館]へ走らす。Etruscan のsarcofago[*石棺]やtomb[*墓]の石の横くしか停車しないので、めしゃくしゃに三等に乗り込む。Orvieto[*オルヴィエート]Orvietoに着いたのが九時半過。こんな淋しい所とは思はなかった。cable tram[*ケーブルカー]で山上の町へ登る。空は心持よく晴れて星と月とが冴へる。中々寒くて冬空のやうだ。Hotel Palazzoに宿す。小さいがきれいだ。 【註... -
1925・3・2 イタリア・アッシジ-ペルージャ
~孝吉の日記~月。曇、後、晴。窓外Umbria[*ウンブリア]の野原がぼんやりとコバルト色に遠くへかすんでゐる。光線がよいので又San Francesco[*サン・フランチェスコ聖堂]へ行ってみる。昨日より明るくてよく見えた。Giotttoの画に見出される。やはり見てゐる程よくなってくる。Lower church[*下堂]のPietro Lorenzetti[*ピエトロ・ロレンツェッティ]の聖母は中々美くしい。churchを出ると馬車屋がSan Damiano[*サン・ダミアーノ]へ行かんかと頻りにすゝめるので行てみる。馬車賃だけ損をしたよう...