2025年1月– date –
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1925・1・26~31 パリ
1・26 ~孝吉の日記~朝からItalian[*イタリア語]のABCを始る。面白くもないが、古代芸術が見たいばかり―。午後、Opéra方面へ用たしに行く。 1・27 ~孝吉の日記~火。朝、水彩を一枚失敗。午後、岩田[*岩田豊雄]、柏村さん[*柏村次郎]が見えた。 1・28 ~孝吉の日記~水。朝、水彩の花を描く。午後、散歩。夜は本名氏[*本名文任]訪問。 1・29 ~孝吉の日記~木。水彩の花を描く。 1・30 ~孝吉の日記~金。午後、Jardin des Plantes d’Orléans[*1]を散歩。川島さん夫妻[*川... -
1925(大正14)・1・25 パリ
~孝吉の日記~日曜日。晴。午後、川島さん[*川島理一郎]とBois de Boulogne[*ブーローニュの森]へ行く。Etoile[*エトワール駅]でMétroを下りてAvenue de Boulogne[*ブーローニュ通り]を歩く。日曜で沢山の人出である。可愛い小供をつれる人が多い。Boisの口から馬車に乗って行く。Lakeの端を通る。ボート漕ぐ者、水に浮くcanard[*アヒル]、喃喃と語って行く男女。皆、平和だ。冬枯の木立にポプラが天を突いて立つ。春から夏の楽しさを思わせる。茫漠としたHippodrome de Longchamp[*ロンシャン... -
1925(大正14)・1・24 パリ
~孝吉の日記~曇。土曜日。室内で小さいスケッチを始る。夜は岩田さん[*岩田豊雄]、柏村さん[*柏村次郎]など見えて晩飯。後、トランプをして遊ぶ。 ■岩田豊雄と柏村次郎 フランスで演劇の研究に打ち込んだ岩田豊雄(後の作家、獅子文六)は、ドイツの演劇も覗いておこうという気になる。だが、ドイツ語はとんと分からない。「誰かの世話にならなければ、芝居歩きもできない」。そう思っていたところに紹介されたのが、ドイツにいた柏村次郎だった[*1]。 次郎は1893(明治26)年、東京に生まれた... -
1925(大正14)・1・20~23 パリ
1・20 ~孝吉の日記~火。今日もLouvre[*ルーブル美術館]へ行く。川島さん[*川島理一郎]に来てもらって夕暮、Pont Neuf[*ポン・ヌフ。セーヌ川に架かる橋]端の洋服屋へ仕事洋服を買ひに行く。大きな店でstock[*在庫]の豊富なのに驚く。仕事着150fr。廿三円位。 1・21 ~孝吉の日記~水曜。朝から銀行へ行く。 1・22 ~孝吉の日記~木曜。晴。ConcordeのMusée du Luxembourg[*1]を見る。外国の絵ばかりで見るべき物がない。つまらないものばかりだ。午後、Louvre[*ルーブル美術館]へ... -
1925(大正14)・1・19 パリ
~孝吉の日記~月曜日。Barbazanges[*バルバザンジュ画廊]のPeintres-Graveursの展覧会[*1]を見る。Vlaminck[*ヴラマンク]、Dufy[*デュフィ]などうまい。 【註】 *1 独立版画家協会の第3回グループ展。同協会はデュフィらが版画の地位向上を目指して1923年に発足し、ピカソやヴラマンク、シャガール、長谷川潔らも参加した。35年に解散。 孝吉がこの日入手した独立版画家協会の第3回グループ展目録。冒頭には、デュフィが若いころに木版挿絵の機会を設けたことがある親友の詩人・小説家... -
1925(大正14)・1・18 パリ
~孝吉の日記~日曜。Louvre[*ルーヴル美術館]へ行く。Renaissanceの油絵を見る。フランスの十五六世紀にもよい画をふるう人》]Courbet His Studio [*《画家のアトリエ》] Spring [*8] Wounded Man [*《傷ついた男》] Fight between Stags 鹿 [*《牡鹿の闘い》]Poussin Diogenes casting away his cup [*《鉢を投げ捨てるディオゲネス》] Apollo and Daphne [*《アポロンとダフネ》... -
1925(大正14)・1・17 パリ
~孝吉の日記~土曜。朝はくたびれて寝ぼうをする。午後、Musée Moreau[*ギュスターヴ・モロー美術館] を見に行く。技巧があって大家である。しかし、あの夢のやうな世界、センチメンタルな空気はあまり好きではない。ドラクロアやミレーのやうには有難くない。 -
1925(大正14)・1・16 パリ
~孝吉の日記~金曜。曇。小雨。Musée Moreau[*ギュスターヴ・モロー美術館]へ行ったが閉てゐるのでLouvre[*ルーヴル美術館]へ行く。十八九世紀から近代のフランスの画を見る。ゆっくり見てゐるとPoussin[*プッサン]の画の自然の深い美くしさに惹かれる。Milletを育てたある分子が見出される。それからMilletの穂拾い[*今では《落穂拾い》と訳される]、Delacroix[*ドラクロワ]のドンファンの難船[*フランス語読みで《ドン・ジュアンの難破》とも訳される]、Courbetの森の争鹿[*《牡鹿の闘い》... -
1925(大正14)・1・15 パリ
~孝吉の日記~木曜。正午、Hôtel Récamier[*オテル・レカミエ]からRue de la Sorbonne[*ソルボンヌ通り]のHôtel Rollin[*オテル・ローラン]へ引越す。Récamierには廿日間程しかゐないが、それでも名残が惜まれる。今日から川島さん[*川島理一郎・エイ夫妻]の部屋とつゞきになる。あまり美くしくないが、部屋代が安い。小さいアトリエが付いてゐる。 -
1925(大正14)・1・14 パリ
~孝吉の日記~午後、Musée Rodin[*ロダン美術館]へ行く。やはりRodinは偉大な作家である。近代にはまれな力と重さの所有者である。感覚的なところは古代彫刻に比しては卑近なようだが、それも鋭くて生きてゐるから生命を失はない。ローマ彫刻を見るやうな感がするよいものもあった。 Muse de la Méditation―Fragment du Monument de V. Hugo[*1] Balzac[*《バルザック》] L’Homme qui marche[*《歩く人》] La Main de Dieu[*《神の手》] Torse de Femme[*2]その他、Rodin col...