2024年12月– date –
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1924(大正13)・12・21 パリ
~孝吉の日記~日曜。七時半、夜が明ける。表のplace[*広場]には自働車が走り出す。八時半起床。窓外霧。曇。軽いコヽアとパンの朝食をすまして川島[*川島理一郎]、岩田[*岩田豊雄]両氏がもう少し安いhotelを探してくれるので共に行く。街頭、冬枯の並木に霧立ちこめて落ちついたさびた重みのある家並び井然がうす暗く短くて生命は夜である。人皆も夜の歓楽の為に動いてゐるやうである。部屋はおち着いた間で気もはらず非常に居心地がよい。一日25f。 -
1924(大正13)・12・20 マルセイユ―パリ
~孝吉の日記~朝餐をすまして九時廿五分発のrapid[*急行列車]にて出発す。晴。南欧の景色は暖かでのどかである。色彩の濃厚な南洋を通って来た眼には、朝もやのかかった景色は灰色に見へた。Alres[*アルル]、Avignon[*アヴィニョン]などを通って北進す。Rhône河[*ローヌ川]にそって行く頃、曇って一面に霧が立ち込め、うすら寒い景色となる。Lyon[*リヨン]へ着いたのは三時半。もう夕暮れとなって、日の短いのに一驚。松方氏[*松方三郎]はスイスへスキーをやりに、堀氏[*堀敏郎]は正金[*... -
1924(大正13)・12・19 マルセイユ
~孝吉の日記~Marseille未明、船はマルセイユ港に入る。船の人々等に別れを告げて下船。川島氏[*川島理一郎]の通訳のお陰か、税関も大目に見て難なく通過。本名博士夫妻[*本名文任・蝶]と馬車でHôtel du Louvre et de la Paixに宿す。外のrestaurantで昼食。それより電車にてMusée[*美術館]へ行く。運悪く休日。それより又、電車にてNotre Dame de la Garde[*ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院]へascenseur[*昇降機]にて登る。マルセイユの港街を一眸のうちにあつむ。Notre Dameに詣って下り、hot... -
1924(大正13)・12・18 ボニファシオ海峡
~孝吉の日記~快晴。気候爽快。午後、Corsica[*フランス・コルシカ島]とSardinia[*イタリア・サルデーニャ島]の間を通る。岩山なり。Bonifacio[*ボニファシオ。コルシカ島南端のまち]の断崖が海に切立つ。雲の奥には高山が雪を頂いてそびえる。海峡を通過してコースを北西にとる。夕焼、Corsicaの雲と連山とを照して赤く染める。荘厳なる風景におどろく。夕より風あり。船、縦に動揺す。明日はMarseille[*マルセイユ]。Louvre[*ルーヴル美術館]の中に自分を見出す日も近い事となった。一生のうれ... -
1924(大正13)・12・17 メッシーナ海峡
~孝吉の日記~Messinaだんだんと天気回復する。温度六十度[*華氏での表記。摂氏なら15.6度]。やがて多年憧憬した伊太利の半島が見え出す。高い山の峯は雲が閉ざしてゐる。船は方向を北にとってSicily[*シチリア島]との間を行く。日本のやうに山国ではあるが、やはり大陸的で山のoutlineが雄大に横はり立体的である。富士の裾野のやうなlineが所々にあり、大きな河が山から海に流れ落る。山腹にも海岸にもちらちらと白壁、赤屋根の洋館が点在するのが小さく見える。Etna山は雲に閉されて見へない。メシ... -
1924(大正13)・12・16 地中海
~孝吉の日記~未明、Crete島の沖を通る。一天曇りて雨。東北風強く、寒さ加はる。こゝ四日程の間にかくも気候が変る事は不思議なり。冬服を着る。出立以来の初めての雨らしい雨なり。海荒れて怒濤舷側にもり上り、山の如くたける。白泡を立てゝ動揺する所、雄壮。船、左右に動揺す。これが希臘の沖。昔より幾多の神話を残した海。Homer[*ホメロス]のオデシイ[*オデュッセイア]の難破を思ひ出す。 -
1924(大正13)・12・15 地中海
~孝吉の日記~曇。地中海を進む。波静かなり。一の島をも見ず。非常に涼しくなる。今から思ふと熱帯地方の暑さは不思議な感がする。夜、chief officerの所で話す。 -
1924(大正13)・12・14 カイロ―ポートサイド
プレビューの表示 ~孝吉の日記~快晴。午前中にカイロの素通りをやる。 時 Get up 5,30 Start 6,30 arrived dead city 6,50 〃 7,10 〃 Pyramids 7,35 〃 8,10 〃 Mohamed Ali 8,40 〃 9,10 〃 Rifai Mosque 9,20 〃 9,40 〃 ... -
1924(大正13)・12・13 スエズ―カイロ
~孝吉の日記~朝よりGulf Suezに入る。両岸に山あり。広漠たるアラビヤ砂漠とサワラ[*サハラ]砂漠なり。西方、アフリカの沿岸の雄大なるoutlineを持った断崖の連続は素晴らしい風景を作る。その色は代赭氏、万事手はずよく導かる。波止場にはスエズ案内の土人が日章旗を持って出迎へる。港から汽車ですぐ近くのSuezの町に下車。日の丸の旗に導かれて、お登り旅行を始る。町は美くしからず。土人はシンガポールのそれよりも欧州人種の混合によってか自覚せる如く、そのどう猛な精神によって強い何ものかを心の... -
1924(大正13)・12・12 紅海
~孝吉の日記~晴。