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1925・4・7~8 イタリア・ヴェネツィア
4・7 ~孝吉の日記~火。曇。どこのあてもなく歩いて停車場の方へ行た。スケッチを一枚。午後、市場のところから向ひのCa’ d’Oro[*カ・ドーロ。黄金の館]の方を描く(水彩)。芸術は客観の再現ではなくて、精神を以て人間が感じた自然の真実な悦の頂上でなければならない。崇高の悦と力と熱と重さの永き継続でなくてはならないと思ふ。夕暮、川島さん[*川島理一郎]と街を歩いて土産屋をひやかす。夜のcanal[*運河]を汽船で帰る。あちこちの窓から燈がもれて、昔からの幾多のromanceが思ひやられる。 4... -
1925・4・5~6 イタリア・ヴェネツィア
4・5 ~孝吉の日記~日。曇。San Sebastiano[*サン・セバスティアーノ教会]へ行く。Titian[*ティツィアーノ]一枚とPaolo Veronese[*パオロ・ヴェロネーゼ]の画が沢山ある。VeroneseはTintoretto[*ティントレット]などとは[*より]数等下のようだ。午後、Accademia[*アカデミア美術館]附近で水彩をかく。にはか雨来る。 4・6 ~孝吉の日記~月。曇。朝、裏の方の小さいcanal[*運河]の方へ写生に行った。写真をとってやると云たら小供が沢山やって来るのも面白い。午後、Accademia di belle... -
1925・4・4 イタリア・ヴェネツィア
~孝吉の日記~Venezia土。曇雨。午前Ca’ d’Oro[*カ・ドーロ。黄金の館]へ行たが、修繕中で駄目。こゝにはチシアン[*ティツィアーノ]などの画がある。それから近くのPalazzo Giovanelli[*ジョヴァネッリ宮]へ行く。十一時からだと云ふので、少し遠いMadonna dell’Orto[*マドンナ・デッロルト教会]へ尋ね尋ねて行く。橋を四つ五つも渡てやっと見あてる。中にはTintoretto[*ティントレット]、Adration of Golden Oxe[*《黄金の子牛の礼拝》]、La Fine de Mona[*1]、La Presentazione al Tempi... -
1925・4・3 イタリア・パドヴァ
~孝吉の日記~金。早朝、Padovaへ出懸ける。九時廿分が壁を充たす。やはり偉大なる画家である。構図もよいものが多い。けれど希臘の芸術を見るよう―にはぴったりと自分を引き付け合一せない。理論からではなくて自分の持ちまえなんだ。唯の自然からの感情から来る事実に過ぎない。古のArena[*2]は公園になってゐる。次ぎにEremitani[*エレミターニ教会]を見る。十五世紀のfrescoesがある。南側のChapel of Santi Jacopo e Cristoforo[*3]にMantegna[*マンテーニャ]のfrescoesが十二面程ある。あま... -
1925・4・2 イタリア・ヴェネツィア
~孝吉の日記~木。快晴。終日稀なよい天気で雲さへない。春の陽気で和風べると典型におちて少し硬い。前のpiazza[*広場]は又、観光客で賑はう。巡行船でお向ひのSan Giorgio Maggiore[*サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂]へ入る。川島さんは外で油[*油彩画]を始める。Tintorettoの画が四五面ある。中で向て右方の奥のchapelにある埋葬図と右側にある磔刑(Martirio di vari santi)[*《聖コスマと聖ダミアノの殉教》]とLast Supperなどは感心した。汽船でSan Marcoの方へ帰てSan Giovanni in Brago... -
1925・4・1 イタリア・ボローニャ-ヴェネツィア
~孝吉の日記~水。快晴。Santo Stefano [*サント・ステファノ教会群]へ行く。途中、高いTorre Garisenda[*ボローニャの斜塔2つのうちの「ガリセンダの塔」]の前を通る。寺は八つのégliseのgroup[*1]で古く、四世紀から興された。主なるものは十二世紀[*2]、その北に第二のchurch、これは八角のbattistero[*正確には、元は「洗礼堂」だったとされる]で十世紀[*3]である。赤れんがの外面も中々古い。中にはantique columnsがある。(Atrio di Pilato[*ピラトの中庭])その裏の第三寺はRom... -
1925・3・31 イタリア・フィレンツェ-ボローニャ
~孝吉の日記~火。快晴。早朝、柏村[*柏村次郎]をお隣のHotel Grande Bretagneに訪ねる。後、午前十時発、Firenzeを立つ。Pistoia[*ピストイア]あたりからBologna[*ボローニャ]迠など。大したものでない。夕暮、町を歩いてhotelの向ひのbarbiere[*床屋]へ行く。夜、散歩する。店は皆閉められて、caffè[*喫茶店]ばかりが開いてゐる。夜明の町を男女が歩いてゐるやうで面白くない。 ボローニャにあるサンティ・バルトロメオ教会の柱廊(孝吉がイタリアで買った絵はがきより)。ボローニャの街は歩道... -
1925・3・30 イタリア・フィレンツェ
~孝吉の日記~月。快晴。朝、S.M.Novella[*サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂]のold cloisters[*古い回廊(緑の回廊)]へ行く。十四五世紀のfrescoesもcloistersもよい。川島さん二人は朝、Veneziaへ立たれる。自分はまだ一寸見たいものがあるので、一日おくれて立つ。ボロニヤにも立寄る為に。午前、Museo Archeologico[*1]へ行く。Etruria、Egyptのものがたまらなくよい。そうして一つも悪いものを見ないのは不思議だ。皆、最上の芸術だ。あれにはrealism[*写実主義]もdecorative[*装飾的な。「装... -
1925・3・29 イタリア・ピサ
~孝吉の日記~日。快晴。雨、後又晴。Pisa行快行て弁当を食ふ。まだ雨が止まず、益々どしゃ降りとなる。とう惑。やっと晴れかけたのでBattisteroを水彩でかき出すと又雨で逃げ込む。斜塔へも登てみた。雨が晴れたのでやっとBattisteroと斜塔を描く。川島さんも二枚油をやる。これで思ひもかなったので引き上げる。美くしいDuomo、Campanile、Battisteroが別れを惜しむやうだ。何となしに人の心を引くよい建築である。Firenzeへ帰たのは夜八時半。この日、奥さんはBattisteroの階段で手紙など書いてお待ちだ。 【... -
1925・3・28 イタリア・フィレンツェ
~孝吉の日記~土。雨、晴。午前、Archaeological Museum[*国立考古学博物館]へ行く。古代のもののよいのにはいつも感心する。あの古色の美くしさは心を痛める位だ。中庭にVolterra[*ヴォルテッラ。エトルリアの主要都市だった](Siena附近)やVolsinii[*ヴォルシニ。エトルリアの町]などから持て来たtomb[*墓]がある。それからcineraria[*骨壺]などが沢山置いてある。その中にも中々よいものがあるのに驚く。午後、川島さんと一所にPitti Gallery[*パラティーナ美術館]へ行く。二度目である。...