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1925・5・12 パリ
~孝吉の日記~火。快晴。午後、多年憧れて期待してゐたPellerin[*1]のCézanne Collectionを見る。瀧山[*瀧山源三郎]、本名[*本名文任]氏その他二三人と同行。Pellerin邸はAvenue de Madrid[*マドリード通り]で、Bois de Boulogne[*ブーローニュの森]の北方にある。一同、Porte Maillot[*ポルト・マイヨ]のcaféで待つ。日本大使館の証明をもらってNormandie大使[*2]の許可を得て行くことになってゐる。五六十点はあるだろう。なる程と感心する。あの深静な精神とタッチ。一筆もおろそかに... -
1925・5・9~11 パリ
5・9 ~孝吉の日記~土。午後、Billancourt[*ビヤンクール]へ油[*油絵の道具]を持って出かける。思ふやうに行かない。 5・10 ~孝吉の日記~日。晴、雨。何になるのか、どこもフランスの国旗が出る[*1]。午前、昨日の油[*油絵]に手を入れる。午後、Panthéon[*パンテオン]からLuxembourg[*リュクサンブール]公園を歩く。マロニエの花盛りは軟らかい清新を表はす。青い葉の軟らかさ。男、女、子供、皆楽しく遊ぶ。草花は咲き乱れ、倚子にいこふ女の春衣は目さむる心持す。 【註】*1 5月... -
1925・5・7~8 パリ
5・7 ~孝吉の日記~雨。午前、岩田[*岩田豊雄]に来てもらってLouvre[*ルーヴル美術館]の模写許可をもらひに行たが、大使館の証明が要るのだ。雨が降る。Franco-Japonaise[*日仏]銀行へ行く。帰りにどしゃ降りで食事から帰る。Printemps[*プランタン。百貨店]の売子連がきせてくれと云て傘の中へ入て来たのには少々閉口。この所、喜劇。他の連中がきゃきゃと笑ふ。後、大使館へ行て証明を貰ふ。 この日、パリのエラール・ホールであったフランス人ピアニスト、ポール・ロヨネ(1889~1988)... -
1925・5・6 パリ
~孝吉の日記~水。晴、雨。Louvre Musée[*Musée du Louvre(ルーヴル美術館)]へ行く。全体を通して見た。今日は埃及、アッシリア、希臘の美くしさに全身をさゝげた。何とした力強さと落着きと単純さと歓喜に充たされた明快な世界か。あゝもう自分は古典を礼讃する前に他の小さき丘や山を見たくなくなった。なる程、総ての時代、総ての大家は各自相当の力と個性の美くしさとを見せる。それ相当に偉大でもあり、大いに崇敬すべきものが多い。けれど少くとも、自分の理想としてより偉大な埃及やアッシリア、希臘... -
1925・5・5 パリ
~孝吉の日記~火。雨。朝から曇てゐたが、約束通、本名[*本名文任]、瀧山[*瀧山源三郎]両氏とSt-Germain-en-Laye[*サン=ジェルマン=アン=レー]へ行く。Gare Saint- Lazare[サン=ラザール駅]で待ち合はす。むこ[*向こう]へ着く頃から雨が降り出す。途中、絵のやうな別墅に彫った獣は実に真にふれてゐる。その他、Gallo Roman[*ガロ・ローマ(帝政ローマ支配下にあったガリア)]のvase[*壺]などが無数だ。archaeologist[*考古学者]もartistも見のがしてはならないだろう。雨で写生が出来ず... -
1925・5・4 パリ
~孝吉の日記~月。晴、小雨。今日は画商巡りをする。正午から二時迠くつきつめた。そしてCézanneやゴッホの画さへも一世紀も前のやうに見へる迠に、時代は先へ先へ流れて行く事を語る。 【註】*1 ヤン・クーベリック(1880~1940)。チェコのヴァイオリニスト、作曲家。*2 板東敏雄(1895~1973)。徳島県出身の洋画家。川端画学校に学び、帝展、文展に出品の後、1922年に渡仏。日本に戻らず、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・チュイルリーなどで作品を発表した。フランスで先に活躍... -
1925・5・1~3 パリ
5・1 ~孝吉の日記~金。晴、にはか雨。寒し。今日から広い間に唯一人で居る事になる。部屋の跡始末などで日が過ぎる。 5・2 ~孝吉の日記~土。晴。午前、Cluny[*クリュニー美術館]の庭でスケッチをする。午後、買物。夜、本名氏[*本名文任・蝶]宅を訪ふ。 5・3 ~孝吉の日記~日。チュイレリーの川岸に開かれたSalon(Société des Artistes Français)[*サロン(フランス芸術家協会)]を見る。名前はよいが、日本の帝展のやうなもので、その数の多い事と、よくもつまらない画べた 事には一驚。そ... -
1925・4・30 パリ
~孝吉の日記~木。今日は川島氏夫妻[*川島理一郎・エイ]が日本へ出発せられる。朝から荷物でお忙しい。沢山の荷物は先にGare de Lyon[*パリにあるリヨン駅]に預けられる。夜九時四十分の汽車で立たれた。岩田氏[*岩田豊雄]のマダム、マリイさん[*マリー・ショウミー]も同行だ。停車場へ送りに行く。日本を出てから半期の間、兄弟のように親切につきあってくれられた[*ママ]事。その間の楽しい六ヶ月の生活。沢山の事を教はった事。それは言ではつくし難いものだった。日本を立つ時、門司へ上陸し... -
1925・4・29 パリ
~孝吉の日記~水。曇。Exposition des arts décoratifs[*アール・デコ博覧会]開会の初日に見に行く[*1]。陳列はまだ出来て居ない。庭の花の飾り付けや、Printemps[*プランタン]やBon Marché[*ボン・マルシェ]、Lafayette[*ラファイエット]、Louvre[ルーヴル]などの大商店が造た建築は金がかかって立派だ。さすが新らしいdécoration[*装飾]でよいものも多い。アレキサンダー橋[*アレクサンドル3世橋]ぎはに日本館が建てゐる。外観は貧弱で他に比して小さくて見られないが、座敷の設備な... -
1925・4・28 パリ
~孝吉の日記~火。Belle Jardiniere[*百貨店ベル・ジャルディニエール]へ仕事着を買ひに行く。Vildracさん[*シャルル&ローズ・ヴィルドラック夫妻]のお宅で晝の御馳走をよばれる。夜、Gare Saint-Lazare[*サン=ラザール駅近くのThéâtre des Arts[*テアトル・デ・ザール(芸術劇場)]でPitoëff[*1]の芝居を見る。現在では最も人気のある俳優だ。題はJeanne d’Arc[*2]でMadame Pitoëff[*3]がつとめる。ピーランデロの脚本[*4]で、節が深刻、広大で俳優がよい為、力のある芝居だった。...